詩は戦争を伝えることも出来る。詩だけに可能な伝え方を模索するならば。心の内奥で死者と出会う経験を重ねて、それは掴み取られる。幻視する非業の姿、どこからか聴こえる叫び、悲劇を伝えてと託す声。やがて無意識を突き動かされて、新たな詩が始まる。
石川逸子『もっと生きていたかった―風の伝言』(一葉社)は、戦争被害者のかすかな声々を、歳月を越えて吹く風にのせて伝える。反戦詩でありつつ文体に透明感があるのは、作者が痛みに寄り添い声の媒体に徹するからだ。語られる出来事は悲惨だが、どこか夢のような雰囲気をまとう。本詩集は今を生きる者が夢に見ることもない、名も命日も知られない死者を、詩という夢において愛しむ。
「ヒトはどうして おなじ ヒトを/それも 会ったことなどない ヒトたちまで/飢えて死ぬほど空腹でもないのに/がばっと 殺せるんでしょうか//菜の花が/ゆれながら/風にきいた//風は/かおを しかめながら/雲にきいた//雲は/ながれていきながら/月にきいた//月は/首をふって/くらい海にきいた//海は/底にたまっている/泥にきいた//泥は/いっしょに埋もれている/ヒトのされこうべに きいた//されこうべは/だまって ただ/ひっそり涙をながしていた」(「問い」全文)
ぱくきょんみ『ひとりで行け』(栗売社)は、済州島四・三事件をモチーフとする。事件は一九四八年、朝鮮半島の統一を訴える左派勢力の武装蜂起に端を発し、「アカ狩り」により一般の島民を含む約3万人が虐殺された悲劇だ。七八年から作者は、長らく故郷の済州島に戻れなかった父と同島を何度も訪れる。そこで誰かを探すかのように宙をさまよう老いた父のまなざしと「眼の奥の闇」に触れ、見えてきた光景、聴こえてきた声に突き動かされる。「ことばにしたら真実を隠すことになるのかもしれない。」と葛藤しつつ、本詩集を編んだ。
「二〇一七年の済州島では/方々の代々の土まんじゅうがあつめられ、あつめられ、/小高い丘の広大な敷地に あつめられている/それは、大きな意思のもとに集合している、ともいえる/石の墓守たちも 寄り添い/海をかなたに 臨み/空にまた 近づき//ここは、生者と死者が等しい重みで、生きているところ//花が咲いていなくても ひかりいろに満ちている//確かに、死者たちは慎ましく土くれとなり/いまも蒔かれる種に惹かれているはずだ」(「ハングゲ 二〇一七年」)
李芳世『クドゥリ チョッタ(彼らがすき)』(ハンマウム出版)は朝鮮語60篇、日本語20篇の詩を収める。「一篇の詩は、一通の心の手紙だ。」(あとがき)という作者の詩は、巧みなリズムで率直に胸を射る。平易な言葉に込められるのは、今困難な状況下で母国語を学ぶ子供たちへの深い愛情だ。それは言葉を二度と奪われまいと守ってきた全ての人々の思いでもある。「裸のウリマル」は遙かから慈しまれ、明るくすこやかに響く。
「ウリマルが聞こえた/スーパー銭湯でのこと/露天風呂でゆったりくつろいでいると/耳に入ってきた親子の会話/アボジが言った/ハッキョおもしろいか/子どもが答えた/うん。そやけどヨジャがなまいきや/アボジが笑った/子どもはうつむいた/子どもがアボジに向かって言った/チュック イルボンハッキョに勝ったんやで/アボジがへえと喜んだ/子どもはにっこり笑った/ただそれだけのこと/ほんわか ぽかぽか/裸のウリマルがそこにあった」(「はだかのウリマル」全文)