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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2016年12月19日付京都新聞「詩歌の本棚・新刊評」

『セレクション 有馬敲言行録』(田中茂二郎編、土曜美術社出版販売)が興味深い。「生涯を京都から離れずに暮らしている土着の京都人」である有馬氏は、オーラル派(戦後の自作詩の朗読運動)の代表的詩人。「一九六〇年代後半の京都を欠くべからざる発火点にしている」同派は、「関西フォークソング運動と並走しながら発展していった」が、氏の詩と朗読は「その導火線の役割を果たした」。同書からは当時の京都ならではの熱気が伝わってくるが、特に六九年の高田渡氏とのエピソードが時代を象徴して面白い。喫茶店で有馬氏が朗読した詩「変化」を、その場にいた高田氏が面白がり、やがて少し言葉を変えて曲をつけ、持ち歌の一つ「値上げ」が生まれたという。激動の時代に歌うように書かれた詩と、詩を求めていた歌は、政治への怒りと人間への愛において一瞬で共鳴したのだ。なお同詩は「値上げはぜんぜんかんがえぬ/年内値上げはかんがえぬ」で始まり、あの手この手で徐々に表現を変え「値上げもやむをえぬ/値上げにふみきろう」で終わる、政治の本質を衝く風刺詩だ。
 一方『現代詩文庫 有馬敲詩集』(思潮社)はアンソロジー。前半では思いがけず実存主義の陰翳が濃い作品が目を引いた。当時詩人は銀行で重責を担いながら詩を書いたが、その苦悩と歓喜が、観念と身体のはざまから静かに滲むように表現されている。
「かえる方角とは逆のほうへ/この身を白日にさらして/つかめない空のなかへ/熊手の指を振りかざせ//まっ暗闇のなかに/はじけて散る火花よ/とろけ込むはらわたを/この手でつかみだすのだ//ふるい観念にえずいて/なんども息を吸いこみ/その苦しみに耐えながら//地下への階段を降り/人工の渦のなかへ/吸い込まれてゆくのだ」(「終わりのはじまり」117)
 なお有馬氏は「生活語」を用いた詩作を提唱する。「生活語」とは、共通語と対等なものとしてある「方言」。それは本音の詩の言葉となり、歌詞としても力を発揮する。『現代生活語詩集2016 喜・怒・哀・楽』(全国生活語詩の会」編、竹林館、ちなみに有馬氏は同会会長)は、「北海道から沖縄まで一三三人の詩人による交響詩」。全てが方言で書かれているのではないが、朗読すれば「生活語」のイントネーションが立ちあがるだろう。昨年永井ますみ氏は二〇一四年版を手に全国を巡り、参加詩人たちの朗読をDVD三枚に収めたという。
 秦ひろこ『球体、タンポポの』(書肆侃侃房)は、自分の中に今もいる「小さい頃からの/子どものわたし」の「怖じるを知らない/すなおなパワー」がおのずと呼びよせる、生きものたちの言葉の気配を、ひらがなの耳をそば立てて捉えようとする。鷹、翼竜、蛇、愛犬、人形、ハヤブサ、蝶、タンポポ、セミ―。降る雪の、言葉を越える音楽を捉えた詩「みあげるゆき」は、眩しい。ひらがなが言葉の観念を溶かし、生きものたちが見るのと同じ白さが見えてくるようだ。
「しろいかたちにふるものは/いまにすがたをあらわした/いまはない時間(もの)/そのむおんのひたすら/あわただしさを立ちどまらせる/あんじのかたち//いつのまにかききいって/視覚のおんがく/みつめるものをとりこむ魔性/みあげるうち/ふりくるまわたの化身らの/きこえぬおとのいきがふれてきて//ふしぎなけはいのおんどのなか/いまをとめたみあげるものは/ゆきのなかをさかのぼり/なにとわからぬ/いまはない時間(もの)にかえっていく」