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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

#連歌デモ1755~1801

※全行程はHP(http://reliance.blog.eonet.jp/default/shikukan.html)にて御覧いただけます。

1755被曝地の光る夏草うねりしが夕凪の中見えない重荷で 

1756青(あお)に碧(あお)を重ね歌う君よいつまでも歌っておくれ希望をもつ意味を人々のために

1757核の惨さを刻まれし君だから歌の中でいのちの重さを問いかけしかこんなにも深く

1758喉元の刃は敵国のものならじ祖国が民を徴す為の刃 

1759「ほ」と云えば昔は惚れる今放射能そして口伏せタブーなりしや

1760憲法に自由安全保障記しなれど為さざる法律作りし/責任を追及するも天災と想定外に原発造りし/放射能と言い憚るや法律と無垢なる命侵され死ぬる

1761灰となりコンクリに化け害を撒くハコモノ復興過疎の元かな 

1762我が国が変われぬ筈があるものか変われた「我」がこれ程在りて

1763気を付けろ政治屋が無知に寄って来る応援いざせん強引にマッチング(注:いや、今や無知なのはむしろ政治屋のほうか) 

1764どさくさに紛れ損ねてなお進軍いよよ声高「絆」「非国民」

1765
避けられぬ冷たい未来背で読むか地に落ちてなお回る蝉独楽

1766空蝉の閣僚憂い山が泣くみんみん・じ〜じ〜・哀し哀しと(注:現身・隠世・民・自を無理矢理練り込んで)

1767放射能より逃れて来しかわが町にも福島ナンバーの車が走る

1768高汚染地より低汚染地へと流れゆくあきつの島の我らの無惨(1767へ返歌)

1769無惨やな兜の下のキリギリス 我ら知らざり原発の元にて(1768へ返歌)

1770本官は非番のときにデモに出ますだから出世ができないの

1771被曝をばこころの被曝と言いかえるならば被曝者日本に満ちる

1772夏休み帽子被って出かけてく平穏なるかな子どもの虫カゴ

1773幾万の民が危ぶむ原子力次世代に渡す負の技術なり

1774技術とはひとのためなり進歩なり声高に言いて原発止めず

1775素晴らしき仲間同志でリツイート ネットの中の連歌デモ

1776古里蔚珍月城霊光やはり汚職事故起こりなば東海も被曝(注:もし事故が起これば嫌韓たちは自分を棚に上げて汚なく罵るのだろう)

1777寝苦しき夜のかなたにまだ今も溶融炉芯はこの惑星(星)を灼く

1778放射能マグロ回遊西海岸禁漁補償皆は知れりや 

1779今は廃炉福島が急務外圧は忍べそういう社説を私は読みたい

1780「外圧!」を叫べど高まる内圧は事故の炉内に人の心に(1779へ返歌)

1781夏過ぎてもみぢこがらしやがて雪また春が来るいかにその春

1782秋越えて冬をも越えて春待てど異形の季節この惑星(ほし)にありて(1781へ返歌)

1783デモ後の国会前の暗がりに魍魎湧いて愚痴こぼす頃

1784声高に日本の危機という人にまづ届けばや福島の危機

1785食べるひと個々の笑顔にふと思う 食をあずかることはいのちを預かりしことと

1786スーパーで出したこの手を引っ込める 子どもが食べる育つ糧なれば(1785へ返歌)

1787またソッとあんたがいないここに立ち小声で唄うゲットバックと(注:すでに逝った戦友のこと、ちょっとしたことで想いだして・・・またいっしょに激しく抗いたいと強くおもうよ)

1788不都合な事実は見ない報告しない故に原発人は死なない(注:東北大医学部 岡山教授の真摯な告発)

1789あなたの手が好きですと歌うあなたの声に 核の戦の悲劇を知る人たちの声が重なって(福山雅治さんの歌によせて)

1790領土より互いの原発案ずべしともに廃炉へわれらアジアの子

1791それならば戦争するのか無言劇何処の国でも誰も望まず 

1792いつにても死ぬる覚悟とひとの言う この震災の哀しみ深く(「「孫のためこれ以上の汚染は止めたい」と初めて参加のおじいが語る」へ返歌)

1793老い近く駆り立てられる心地して 麦わら被りて馳せ来るひとあり(1792へ返歌)

1794闘うは目に見えぬ物放射能デモに紛れて去り行くこの夏

1795絶望の真っ只中で泣き笑い明かりみいだせこどもを守れ

1796未だ我ら希望の糸を紡ぎおりかくも優しき歌垣交わし(1795へ返歌)

1797明日ありと思うこころの愚かしさ 今日の一日がまず有り難き (1738「明日ありと思う心の再稼動夜半に地震の起こらぬものかは」へ返歌)

1798深々と首をたれて罪を知る小さき子らは我と同じと言う方の福音を前にして

1799「孫のためこれ以上の汚染は止めたい」と初めて参加のおじいが語る

1800世の中に楽しきことは多けれど原発ありて損なわれけり 

1801停めるのみそれしか我ら出来ぬれど“負”の火を二度と弾けさせまじ(1723「原発をゼロにしてから死にましょう我ら大人の後始末」)