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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

バッシング

今日の朝日新聞朝刊の「オピニョン」欄に
精神科医斎藤環氏が、
冬期五輪選手の服装をめぐる「バッシング騒動」について
興味深い内容のコラムを書かれていました。
題して「倫理よりも印象で世間は叩く」。
内容もさることながら、
斎藤氏の言葉の切れ味はやはり格別だと思いました。

「一連のメディアスクラムめいたバッシングは、かつてのイラク人質事件の騒ぎを彷彿させた。」
たしかに、と私も思います。

「批判を煽るかのようにテレビで繰り返される「不適切な服装」や記者会見のシーン」また親族にまで謝罪コメントを取りに行くマスコミについては、
「いつものこととはいえ異様な風景だ」といいます。

海外のメディアでは選手の服装よりも、「さすが集団主義同調圧力の国は格が違う」と、「日本のメディアの過剰反応というトーンで報道されている」そうです。
氏はそれもステレオタイプだとは付け加えながらも。

海外では、例えば銅メダルを不適切な扱った選手も、
「謝罪会見などは開かれなかったし、まして両親まで「晒し者」にされてもいない」。

そしてここでの、この国の精神の構造的な問題として以下の三点を挙げます。

大人が叱る前に世間が叩く。
公正さよりも「気が済むこと」が重視される。
倫理の代わりに品格が持ち出される。

だから「世間は人を罰しない。世間がするのは「気が済む」まで「恥をかかせる」ことだけだ」といいます。

「気が済む」。「恥をかかす」。
今マイノリティに対するバッシングとは、言い換えればすべてこの二つにすぎない児戯でしょう。
その攻撃の欲望も根拠も、たかがこんな愚かしさ二つに尽きると思います。