アンソロジーの付録の冊子から。
朝鮮高級学校三年生が書いたものです。
せみ
夏のせみの鳴き声と共に君達の心の叫びが
聞こえてくる
せみは鳴き続け死んでしまう
だけどせみは次々と鳴き続ける
君達の心の叫びは果たして届くだろうか
せみは夏に鳴いて自然や私たちに夏を告げる
頭の固い政治家たちに君達の声は届くだろうか
人間にこの不公平さが正せるだろうか
せみとは死者の声という人がいます。
中上健次(昨日が命日でした!)も
紀州の山の中で蝉の声を
「南無阿弥陀仏」あるいは「南無妙法蓮華経」ときいたのでした。
この生徒の作品における「せみ」は
よりよい社会をのぞんで生き死にを繰り返してきた
すべての人間の魂の声
ではないでしょうか。
「君達の声」とありますから
これはまた、今無償化を心の底からのぞむ
朝鮮高級学校の生徒たちの魂の声でもあるでしょう。
夏の光の下に蝉の声があふれかえるように
彼や彼女が抱く、魂の不安と希望・・・
最終行の
「人間にこの不公平さが正せるだろうか」
という問いかけに
私の胸は鋭く突かれたのでした。
生徒が投げかけたこのぎりぎりの問いかけに
私たち大人は何があっても応えるべきです。