安保法案は
国会前に行った翌々日の19日未明に可決してしまいました。
京都に戻って私も最後までTVを見ていました。
その瞬間の失望感は、いいがたいものでした。
それは私だけのものでなく、
憲法が守られ、平和への思いが守られることを願いつづけた無数の人々の心を
一瞬で伝播した亀裂だったのでしょう。
ツイッターのタイムラインには
悲鳴のような言葉が並びました。
本当にとんでもないことになったと心が真っ暗になりました。
平和のための戦争なんてありえない。
戦争は戦争であり、
「戦争が可能な国」になったということは、「文化が不可能な国」になったということです。
この先この国はどうなっていくのでしょうか。
今でさえ弱い立場の人々はますます追いつめられていくのではないでしょうか。
あるいはもしかしたら
かれら自身も自分が何を考えているのか分からないのではないでしょうか。
自分の心をどこかにおいて、ただ保身に走っているだけではないでしょうか。
空虚の負のエネルギーに、言葉はただ記号として空回りしていくだけです。
そのようながらんどうの言葉によっては外交は進展しない。
アメリカにものをいうことも出来ない。
そしてそれを見越してか、
宗主国からはすでに次々と要求が来ています。
このような憲法をうち捨てた自主性のない政治では
やがてほんとうに自衛隊はISと戦わせられてしまうのではないか―。
フランツ・カフカの『変身』という小説があります。
その冒頭部分は大変よく知られていますが、
安保法案の可決した朝、目が覚めて
あまりの体の重さに寝床でおのずと思い出されたのがその一節です。
“ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。”(山下肇訳)
この一節の意味が初めて読み解けた気がしました。
変身したのはザムザではなかったのです。
ザムザを取り巻く世界のほうだったのだと。