『詩と思想』の投稿欄の選評を担当しています(期間は一年)。
ご参考までに3月号(初回)と4月号の選評の冒頭部分(総評部分)をアップします。
なお、最新4月号には、巻頭詩「ベニバナ」も寄せていますので、ぜひご高覧下さい。
*3月号選評(総評部分)
「詩の身体のひそやかなあふれを」
一年間投稿欄を担当することになった。現在という時空の大気圧がいかにひそかに、よるべない一人一人を押し潰しているのか、そして痛みや悲しみは、詩を書くという行為をとおしてどんな幻の身体を起ち上がらせるのか。投稿作品を選評することはその生々しい現場に立ち会うこと、そして現在の特異な抑圧に抗う、詩の固有のエロスを感じ取る幸福に浴することだろう。盲目的であっていいと思う。闇の中でより黒い光を掴み取ろうとする言葉の手、詩の身体のひそやかなあふれを期待したい。
*4月号選評(総評部分)
「「それを通してすべてが消え去る輝き」を」
イメージや発想がせっかく魅惑的なのに、物語や論理の薄闇、つまり「時間性」がいつしか詩の空間を覆ってしまい、それらの存在感を半減させた作品がいくつかあった。とても惜しい。私が好きな言葉に「それを通してすべてが消え去る輝き」(ブランショ『文学空間』)があるが、詩とはそんな輝く光になるべきもの、あるいはなりたいものではないか? 物語や論理からは「ポエム」は生まれても「詩」は生まれない。詩的イメージはまずは恣意的に生まれ、それゆえに激しく空間的である。そこに感覚をこらし、自分の奥に始まる言葉の共振に耳を澄ませよう。そして説明しがたく必然的なもの、つまり「空間性」の煌めきで物語や論理、つまり「時間性」を切り裂いてゆこう。それだけがこの時間の薄闇にあらがう詩的方途だから。