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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

#連歌デモ1951〜1999

1951地蔵ほど慈悲深き菩薩なし 闇にさ迷う人すら救うと佛亡き後を任される菩薩なり おのおのの心に宿る優しき心を照らし出す 菩薩のような慈悲のひかりで福島を照らせ

1952さらば我慈悲の水面に漂ひて子らを守りぬただ人なれど(1951へ返歌)

1953この蒼き空三日月も輝きぬ 同じ風吹く福島清し

1954一筆に民の名記す署名簿は民を害するものに迫るを

1955 我が名持て子どもを守れと名乗りしは地蔵菩薩の化身にありぬ

1956真正に略奪されし領土とは永遠(とわ)に戻らぬ福島ならずや

1957炎天の地を駆け抜けり鬼子母神追われし民の無念背負いて(注:先頭で頑張りぬいた一人、上越の橋本圭子さんはじめ県内どこでも女性の皆さんが主役の全県運動、初の「原発」県民投票に向けて「たたかい」はまだまだ続く)

1958虚勢張り国の防衛宣するも民は見棄てり汚染の奈落に

1959どこからも火の手があがる原発に六万筆の民意も参じ(「原発新潟県民投票の実施実現目指して健闘した皆さんに)

1960量よりは質なりと云う理は在れど六万筆の造反有理(注:6月からやっていた「原発新潟県民投票の署名運動 まだ終わった訳ではないけれど、6万筆以上を集めた。成功させよう。「みんなの会」の皆さんに敬意を表します)

1961国すがた語る虚しさなぜならば人の血あらず暮らしもあらず

1962被爆した牛たちが生かされ草を食む絶望の町の「希望の牧場」

1963繋がれぬものにしあれば青々と夏草の中駆けゆけいのち(1962へ返歌)

1964土地土地にひとの愛あり言葉あり 中央と驕り高ぶることの浅まし

1965当てのなき旅路なるかな命さえ既に形を見失ひたり

1966終わりあるいのちゆえ 真実を語り継がむ 碧い惑星(ほし)のあまたのひとが生き残るために(1965へ返歌)

1967大切ないのちすら無意味と無視する現在(いま)のまつりごとを 怒りとともに過去の繰り返しかと嘆く今日もまた(1966へ返歌)

1968失われたいのちに問うならば生きる意味を問うてみて 生きてほしいとささやくから(1967へ返歌)

1969我がいのち誰のためなり何のため生きてゆくのか知る為生きゆく(1968へ返歌) 

1970死は常に親しく身近に寄り添ひて微笑み絶やすことぞなかりき

1971真夜目覚めまだ息あるを思ふだに申し訳なき心地こそすれ

1972この身とていつか朽ちゆく定めゆえ内にすべてを抱きつ歩まん

1973七夕の夜や数多の星々のひとつひとつが吾らが願ひ 

1974短冊と筆ペン渡し女性(ひと)の衣に「〈まんとくん〉?」「いいえ。子は博多へ」(1973へ返歌)

1974原発は事故ればそのまま処分地よその覚悟で誘致してんの?

1975わたくしの命の器に注ぎこまれし凝縮された君の命の水が 刹那とともに足元を濡らすとき 被曝という見えぬ傷跡をなぞるかな

1976鹿児島に西郷隆盛ひとありて座右の銘は『敬天愛人』(鹿児島県民に寄せて。1977〜1979も同じ。)

1977台風の銀座となりて桜島噴火の害に耐えてきた民

1978薩摩には川内原発既にあり大隅までも汚したもうな

1979外様には外様の意気あり心あり地方自治の闇を拓けよ

1980夜空にきらめく星々のようにあまたの人たちの心に宿る星は平和を求める限りない数なり

1981人材は人財なりぬ人災の波に呑まれて灰塵と帰す

1982この地球我等は借りし者共ぞ長きを思わば原発止めよ

1983夕焼けの空に三日月地にはひと月も頂点後押しをせむ

1984汗に濡れ涙に濡れぬ金曜日ただびと達の哀しみを聞け

1985子どもらの未来を全て呑み込んで肥え太りゆく原子力産業

1986今まさに君を戒むデモありて何をか言わん福島語れ

1987昨日まで正気の沙汰でなきことに悪夢の明日はみなが熱狂(注: 戦争を推進することに加担し、後で「騙された」と言ったのも国民)

1988辺境をつくりし中心妄想よ汚れを島の端に押しつけ

1989なにをして中心というこの国のあらゆる場所が中心のはず(1988へ返歌)

1990中心や都心に心はあらずきと思へる今宵七夕の空(1989へ返歌、伝統的七夕の日に)

1991無意識の波の間に間に漂へる水母は海の意志の憑坐(よりまし)

1992海月には思想なきと言われども海が意見を伝えに来にけり(1991へ返歌)

1993パパに電話してとねだる君の顔がすこしだけ彼の顔に重なって見える蝉時雨の午後

1994委員会規制どころか焼け太り原子力ムラの牙城堅固に

1995水俣病イタイイタイ病ヒ素ミルク またも企業の欲のため被曝す

199640年経て悲しみの繋がれり水俣の苦しみ福島の苦しみ(1995へ返歌)

1997公害の歴史に悪名連ねるは常に国県行政なりき(1996へ返歌)

1998無人町碧空かなし影呆けただ風渡り澄み切るのみぞ 

1999苔の庭光が融ける影融ける現世の毒も融かさざるかと