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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「山下菊二コラージュ展」をみました

日曜日に、東京からの帰途に、鎌倉の神奈川県立近代美術館別館で開催されている「山下Image1229 菊二コラージュ展」をみました。
新幹線の時刻を気にしながらの40分位の駆け足の観賞となりましたが。
ずっと以前にNHKで紹介されていたこの画家の世界に出会いたくて
ちょっと無理して行きました。

1919年徳島県生まれ、1986年没。
「戦争と狭山差別裁判」というコラージュの連作で知られていると思います。
私もこの作品をテレビ画面で見て、すごいインパクトを与えられました。
今回、ガラスの覆いもない絵から直接、突きつけられるようなひりひりとした画家の危機意識を感じました。Image1228

一作一作から、鋭い言葉がこちらに投げつけられます。
たとえば能面があかんべえをし、骸骨の口封じをしている絵では
「もし死刑がほんとうなら��善枝ちゃん殺し�≠�自白すれば十年で出してやる、と言った。長谷部警視は裏切ったんだからね」
戦闘機の下で首のない天使がダンスをし、遠くの夜空で照明弾が上がる絵では
「善枝さんの姉さんの登美恵さんが、一審の裁判の一年後の七月十四日に、農薬自殺をした」とあります。
そのようにすべて、この裁判の判決がいかにえん罪であるかを、不気味なImage1230 コラージュとの呪いのような響き合いの中で、証そうとしていきます。
コラージュには必ずドイツの木版画の「マクシリアン一世の凱旋」から切り抜かれた図版が貼られています
それが権力者=死神の執拗な魔性を見事に現していて、恐怖を倍増させます。

そのようにこれらのコラージュは怖いのですが
見事な構成と美意識に支えられているために、
恐怖がすれすれに魅惑に変じています。
それでもアート的に遊んでいるという感じはもちろん一切ありません。

山下菊二がこうした権力批判を作品化した動機の奥底には
戦争中に二度にわたり戦地に渡り
中国南部の戦線で日本軍の残虐な行為をまのあたりにしながら
組織の中で何もできなかったことに対する自責の念があるといいます。

そう、これらのコラージュに
中世的なあるいは古代的な恐怖の印象をもたらしているのは
作者が、日本が犯してきた罪業への、被害者の呪いを代弁しているからでしょう。

また山下は、装丁家でもあって
あの新潮文庫大江健三郎の『空の怪物アグイー』などの顔が大きく描かれた表紙絵も、彼の作です。
木島始の『沼の妖鳥』という詩集も装丁していて、これも今回展示されていましたが、中身と合っていてすごく良かったです。もう入手できないみたいですが。