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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

御庄博実・石川逸子/詩文集『哀悼と怒り─桜の国の悲しみ』(西田書店)

御庄博実氏と石川逸子氏による合同詩文集『哀悼と怒り─桜の国の悲しみ』(西田書店)が出ました。
二人は、反核という立場を貫いてきた希有な詩人たちです。D
御庄さんは医師としての名前は丸屋博さん。
劣化ウラン弾による内部被曝をずっと追究されてきました。
石川さんは通信「ヒロシマナガサキを考える」を、
昨年の100号で終刊するまで29年間発行し続けてきました。

『哀悼と祈り』は詩とエッセイで成り立っています。
御庄さんの大震災の犠牲者への慟哭詩、原発への憤怒の詩、
石川さんの1986年から2011年までの反原発詩群にあらためて瞠目させられました。
それらの詩にあふれているのは、タイトル通りまさに「哀悼と怒り」。
作品としての完成度という点では
やや散文脈すぎる点もありますが、。
しかしこれらの詩の主体は「私」や言葉ではなく
「哀悼と怒り」という感情なのです。
まさに今全ての人が我知らず呑み込まれている
二つの感情の海のうねりです。

哀悼と怒りとは今、
詩を最もアクチュアルに創造させるものであるし
詩の「アクチュアリティ」の力の源泉となる海でしょう。

3.11がもたらした哀悼。
それは私たちが死者の代わりに生き直すという無限責任の感情でもあるはずです。
3.12によって内奥から噴き出し続けている怒り。
それは棄民された被災者や自殺者や打ち棄てられた動物たちへの同苦の感情でもあり、
未来の子供たちを絶対的危機にさらした国家を許さないという
類としての私たちの本能の表れではないでしょうか。

そしてこれらの二つの感情はまた
過去の世界への徹底的な訣別の感情でもあるはず。

詩人はそれぞれの「哀悼と怒り」を突きつめなくてはならない。
原発事故という帰結を生み出したこの世界の表層的な散文脈を二度と反復させないために
深い次元から詩という亀裂を生みだそうとする絶対的な決意
に突きあたるまで。

そうだ お前を助けられなかった 父は
せめて お前の子どもを
でも どのように
この ぎっちり 原発に囲まれた列島で


ひとりの父親
嘆きが 怒りが
いらだちが
一つの小さな星となって
この列島をかすかに照らしている。

くらい窓をとおして 眠る この列島のひとびとの
夢のなかに かなしく射しこんでいる。
                                    (石川逸子「ヒロシマ連祷43」)

庭で首をつった93歳の彼女をだれが責められよう
たどたどしい遺書と 愛用の手押し車が残されている
原発が奪った大往生」と
M新聞の第一面 一号活字の重さを忘れない
ひとりのいのちの重さを忘れまい
                   (御庄博実「避難」)