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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

イベントのお知らせ:12月5日トーク&朗読「絵と詩の対話--詩集『夏の花』の裝画をめぐって」

            【イベントのお知らせです】

来月2日(土)から10日(日)まで玉川麻衣さんの個展が開催されます(3日(日)のみ休)。玉川さんは、今年5月に出た私の最新詩集『夏の花』の素晴らしい表紙装画(このブログのヘッダーにも使わせて頂いています)を描いて下さいました。その絵を前にその絵をめぐって、玉川さんと対話する小さなイベントを開催します。装丁の毛利さんもゲスト参加です。後半は任キョンアさんのチェロと共に私が詩「夏の花」と「月下美人」を朗読します。ご参加希望の方は、宜しければ私の方までご一報ください(予約ではなく人数把握のため)。以下詳細です。

         

                  🎄トーク&朗読🎄

「絵と詩の対話--詩集『夏の花』の裝画をめぐって」

⚫︎日時 12月5日(火)17時〜18時
⚫︎場所 ストライプハウスギャラリー3F
(〒106-0032 東京都港区六本木5-10-33、03-3405-8108、六本木駅3番出口から徒歩4分、http://striped-house.com/map1.html)

⚫︎出演 玉川麻衣、河津聖恵(ゲスト毛利一枝)
⚫︎音楽 任キョンア(チェロ)

⚫︎入場無料

*なお玉川麻衣個展期間中、会場にて詩集『夏の花』を2000円(定価2300円)にて販売しております
👉問合 kiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp(河津)

👇玉川麻衣さんの個展詳細はこちらです。

http://meiteisen.blog.shinobi.jp/

 

2017年11月20日付京都新聞文化欄「詩歌の本棚/新刊評」

『桃谷容子全詩集』(編集工房ノア)が上梓された。今年で没後十五年となる詩人は、一九四七年有名な企業の創業者の孫として生まれたが、キリスト教者の父母の愛に恵まれず、裕福な家で魂の空白感に苛まれて育つ。生来の純粋さゆえに結婚生活が破綻した後は、繊細な精神を傷めつつ労働して独りで生きた。信仰にも救われない絶望の中で、詩を書くことは一条の光だった。二〇〇二年病により五十五年の生涯を閉じた。
 同じく信仰で救われなかったシベリア抑留の詩人石原吉郎や、神の不在に直面して祈ったシモーヌ・ヴェイユをも想わせる詩人だ。五百三十頁にわたる『全詩集』の平易かつ実存的な詩群からは、詩さえ記号化する現在で封じられがちな人間の根源からの声が、鮮やかにそして清冽に立ちあがって来て圧倒される。
「十一月//メドックの樽の中で/芳醇なボルドーが/発酵するように//わたしの内部(なか)で/十一月の悪魔が目覚め始める季節//黄金(きん)色の木の葉が落ちる/黄金(きん)色の瀕死の小鳥のように/黄金(きん)色の切断された天使のてのひらのように/木の葉が落ちる//十一月//まだ生きている/暖かな四十雀(メサンジユール)の首を/やわらかなてのひらで/絞め殺すことを/夢想する//十一月」(「十一月」全文)
「〈もうすぐなのですね〉//神に辿り着いた時/登山列車に灯は点されるだろう/癒された白樺の樹の上に陽は降りそそぐだろう/そして業火のように/私の裡で燃えつづける野火は/神の手によって/ようやく消されるだろう」 (遺作「野火は神に向って燃える」部分)
 同じく編集工房ノアから涸沢純平『遅れ時計の詩人――編集工房ノア著者追悼記』が出た。一九七五年創業の同社は、「全国の地方出版社の中でも少ない、関西で唯一の文芸専門出版社」(帯文)。創業者・社主の涸沢氏が、今は亡き書き手たちとの交流を描いたエッセイ集だ。永瀬清子、富士正晴足立巻一、杉山平一といった著名人から、港野喜代子、清水正一など無名だった詩人たち、そして天野忠、大野新、黒瀬勝巳、鶴見俊輔といった京都ゆかりの書き手たちも登場する(ちなみに涸沢氏も舞鶴市出身)。書き手の生に編集者が伴走した時代の空気を巧みに描き出す筆力に、ぐいぐい引き込まれた。
 今や詩集も入手困難な黒瀬勝巳の人となりと作品も知ることが出来た。引用詩の一篇「歯」から―。
「ともあれ この歯がからだのなかで/いちばん硬いとは うれしいことだ/だいいち 性悪なするめだって/このとおりだし/それに 眠ってからだって/歯ぎしりが噛める/(一連略)/でも/これはなんの根拠もない言い草だが/ひとは その歯において/ひとと訣れてきたのじゃないだろうか/朝晩二回も歯を磨いていると/そんなふうに 俺には思えてくるんです」 
服部誕『右から二番目のキャベツ』(書肆山田)は時間と向き合う。端正で成熟した筆致で、生の流れから成る人間の本来の時間を肉感的に回復させる。まさに「わたしの、プリズムを透過した偏光を放つ〈生〉」(「あとがき」)の詩集だ。時間の情景を描く詩も魅力的だが、それを裏打ちする「時間哲学」を語る詩も興味深い。以下の一節には深く頷かせられる。
「キーホルダーにはない四本目の鍵は/わたしのこころのなかにまだまちがいなく存在している/忘れてしまった幸福だ/いまも記憶に残っているほんのすこしの幸福でなく/すでに忘れられてしまった幸福のおおきさが/わたしの生きてきた歳月をゆたかなものにしている」(「鍵」) 

『三島由紀夫未公開インタビュー』続


前回のブログ記事で『三島由紀夫未公開インタビュー』を話題にしましたが、憲法九条についての作家の発言を、ご紹介しておこうと思います。

 

今折しも総選挙で、各党の憲法に対する考え方も、大きな争点になっています。

 

三島由紀夫の発言は、もう45年も前のものですが、決して古びてはいないと思います。むしろ、偽善という、戦後の日本人にとって最大の急所を突く観点から九条を問うというのは、新鮮でハッとさせられます。

 

インタビュアーのベスター氏に、「現代の日本の社会で特にお嫌いなところは」と問われた作家は、きっぱりと「偽善ですね。ヒポクリシー。」と答えます。そして西洋は立派な偽善の伝統があるが、日本には偽善の伝統がない、と述べた後、日本が偽善的になったのは最近かと問われて答えた箇所を引用します。

 

三島:戦争が済んでからひどくなった。ものすごくなったと僕は思うんですね。
ベスター:そういう日本人の偽善は特にどういう面で・・・・・・。
三島:平和憲法です。あれが偽善のもとです。僕は政治的にはっきりそう言うんです。昔の時代には、日本人はみんなうそばっかりついていましたよ。やっぱりうそはついていました。いろんな偽善的なことも言ったでしょう。だけど、それは伝統的なモラルの要請だった。つまり、ここではうそをつかなければいけない。あの方に対して本当のことを言ってはいけない

 

そして「つまり、うそというのは思いやりですよ。偽善というのはセルフサティスファクションだと僕は言うのです。」とも語っています。

 

さらに、ヤミ食糧取締法を正直に守っていた裁判官が栄養不良で死んでしまったという話の後で、九条に関して詳しく見解を述べています。


「法律か死かという問題は、ソクラテス以来の一番の大きな問題です。法に従うか死ぬかということは、僕は人間社会の一番の本質的な問題だと思うんです。そうすると、日本の憲法を本当に文字通り理解すれば、日本人は絶対に死ぬほかないんです。つまり、自衛隊なんてあってはいけないんです。つまり、日本で今やっていることは全部憲法違反です。僕はそう思いますよ。それをみんな現実として認めているけど、政府のやっていることも、誰のやっていることも憲法違反です。ですから、死なないために我々は憲法を裏切っているわけですよ。
 そうすると、ヤミ取締法と同じで、法律というものがモラルをだんだんにむしばんでいくんです。我々は死ぬのは嫌だから、仕方がないから抜け道で生きていくんだ。それはソクラテスの死と反対でしょう。ソクラテスのような死に方をしたのがその裁判官で、偉い人ですね。だけど、人間はみんなそうやって死ぬわけにはいかないんです。生きなきゃならない。だから、今の憲法では、僕は正当防衛理論が成り立つと思うんですよ。死なないために今の憲法の字句をうまくごまかして自衛隊を持ち、いろんなことをやって日本は存立しているんですね。日本はそういう形で何とか形をつけているんです。でも、それはいけないことだと僕は思うんですよ。人間のモラルをむしばむんです。
 理想は理想で、僕は立派だと思う。僕は、憲法九条というのが全部いけないと言っているんじゃないんです。つまり、人類が戦争をしないというのは立派なことです。平和を守るということは立派なことです。ですが、第二項がいけないでしょう。第二項がアメリカ占領軍が念押しの規定をしているんですよ。念押しをしているのを日本の変な学者が逆解釈して、自衛隊を認めているわけでしょう。そういうようなことをやって、日本人は二十何年間、ごまかしごまかし生きてきた。これから先もまたごまかして生きていこうと思っているのが自民党の政府ですね。
 僕はそういうことは大嫌いなんです。人間がごまかしてそうやって生きていくというのに耐えられない。本当に嫌いですね。それだけのことです。それはモラルの根底的なところで、どこかでごまかす。そういう法律があるにもかかわらず、人間はこういうことをやっている。」

 

「みんな人生を楽しんでいるでしょう。僕、そういうことはみんな嫌いなんです。ちゃんと楽しむべき理由があって、楽しむことがジャスティファイされて、そして生きているならいいですよね。」

 

「だって、憲法は日本人に死ねと言っているんですよ。生きているのは、もう既にジャスティファイそれていないじゃないですか。」

 

他の著作でも、憲法九条の遵守は、日本人の玉砕であるというように書いてあるのを読んだ覚えもあります。自衛隊を持たないなら死ぬ覚悟で持たない、そうでなければ憲法を改正してきちんと軍隊として持てるようにする、ということですね。

 

そうすると日本人が生きるためには後者、つまり憲法改正をすることが必要になるわけですが、三島由紀夫の主張する憲法改正は、自衛隊が軍隊となり、そのことで日本の文化と伝統を取り戻すこと、そのためには天皇が直接軍隊に刀を授けるというようなことも必要になっていきます。いわば復古的で危険な改正に行き着くわけで、やはりここまで来ると作家と読者である私自身の間に深淵がひらけるのを感じざるをえません。

 

しかし不思議なのは、そうしたある意味で自己放棄するほど大きな結論をふりかざす作家が、もう一方ではきわめて繊細に、言葉に対して誠実であることを手放さないことです。

 

「偽善というのは、言葉についても言えることですね。「平和」と言えば、その「平和」の内容が何でもみんな「平和」でいいと思う。その内容は問わないんです。みんな言葉に寄りかかって、その言葉で主張したり、戦争したり、論争したり、けんかしたり、殴り合ったりしているんです。日本人全部が。ジャーナリズムやマスコミはその言葉さえ出せばいいんですから、あと、内容なんか構わないんです。僕は、これが本当に今の日本語の頽廃の一つの原因だと思いますね。」

 

「自分のスタイルで主張する以外に、思想ですら主張できなくなっているんです。それは、僕はある意味では、思想ですら文学というものだと思いますね。そこまで行っていない思想家はみんな非常に浅薄ですよね。僕は文体でしか思想が主張できないと感じるんですよ、ある意味でね。難しい時代に来ている。」

 

憲法改正という大きな主張と、言葉という小さなものへの繊細さと誠実さの主張。もちろん両者は互いに深く関わり合っています。そもそも作家が出発したのは後者=言葉によってでした。戦前は日本語という言葉の魅惑によって育てられ生かされた。それゆえ一層戦後は偽善に蝕まれていく言葉の洪水の中で苦しみました。

 

作家が、やがては肉体によって言葉から解放されていったということ、戦後腐敗していく人間たちの中で、自衛隊員に魂の純粋さを見出したことも、考え合わせなくてはならないと思います。大きな主張と、繊細で両義的な言葉と思考が渦巻き会う。私にはそれが、人間というものの混沌と矛盾の宝庫に思えるのです。

 

いずれにしても、今の安倍政権が主張する自衛隊の明記は、「檄」があってはならないこととして述べていた、「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終る」という事態を実現してしまうに違いありません。そして魂を手放したこの国は、無限に武器を買わされていくことでしょう。

 

「魂がしっかりしていなければ、いくら武器を持っても何にもならないと思う。国民一人一人が断固としてこれを守るという気持がなければ何にもならない。武器より先に魂の問題であって、極端にいうならば、武器は日本刀でいい。」(「栄誉の絆でつなげ菊と刀」)

 

『告白ー三島由紀夫未公開インタビュー』(講談社)

面白く読んだ一冊です。

 

今年初め、TBS社員が、自社のロッカーに保存されていた「放送禁止扱い」の数百本のテープの中から、これまで知られていなかった三島由紀夫のインタビューのテープを発見した、というニュースが流れました。

 

ニュースで聴くことが出来たのは、作家の肉声の一部だけだったので、もっと内容を知りたいなと思っていました。8月に刊行されたこの本で、インタビューの全容を知ることが出来て良かったです。

 

巻頭のインタビューだけでなく、インタビューの数年前に 書かれたエッセイ「太陽と鉄」、そしてテープを発見したTBS社員小島英人氏によるあとがき「発見のことー燦爛へ」も収められています。小島氏は小学生の時に自決事件に遭遇し(これは私も同じです)、「 世界の深遠と懼れと謎を感じて以来の執着」があったそうです。

 

インタビュアーは『太陽と鉄』のイギリス人翻訳者のジョン・ベスター氏。日付は1970年2月19日、つまり自決のおよそ9ヶ月前です。ちょうどインタビューの日の朝に、最後の作品『豊穣の海』の第三部「暁の寺」が完成したと作家はこのインタビューで語っています。小島氏によると声はのびやかでほがらか、呵々大笑も交え、作家の人間的な姿を感じさせるものだったそうです。

 

インタビューと「太陽と鉄」は、内容的に重なる部分が多いです。ベスター氏が同作の翻訳者であり、翻訳を完成させた後に確認のためにインタビューしているので、それは当然のことでしょう。しかし語る相手のいるインタビューの方はより平明で、話題も多岐にわたり、活字で読んでもたしかに明るく穏和な感じがします。9ヶ月後にあのような最期を遂げるような不穏さは殆ど感じられません。一方「太陽と鉄」は限りなく暗い。真空の中で死を凝視するぎらぎらした作家の目だけがあるのです。

 

もちろん、「太陽と鉄」に湛えられた死への決意こそが作家の本音であり、真実なのだと思います。「太陽と鉄」とインタビューは、陰画と陽画の関係にあると言えるかも知れません。

 

生まれながらにタナトスを抱え込みながら、あまりに言葉に鋭敏だった作家にとっての、戦争と戦後の意味は、逆説的です。戦争は「終わり」の幸福と陶酔をもたらしたのであり、戦後という時間は「偽善」でしかなかった。その偽りの時間の中で言葉によって「純粋さ」を取り戻そうとしながら、いつまでも果てなく続く言葉にあらがうために肉体の純粋さを追い求め、その果てに、必然的に自決という行為に至ったのだと、この一書によって理解しました。

 

作家の、憲法九条や平和を偽善だとする挑発的な見解も、それだけで反感あるいは共感を持ってはいけないのだと感じています。生と死、言葉と肉体、そして人間を満たし取り巻く虚無という視点から作家の声に耳をすますことー。このことはまたあらためて書きたいなと思います。

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10月2日付京都新聞掲載「詩歌の本棚/新刊評」

  仏文学者・詩人の粟津則雄氏が、第二次大戦末期京都にいた頃の思い出を、詩誌「雛罌粟(コクリコ)」5号に書いている。当時中学生の氏は、隣家の書斎で生涯の研究対象ランボーと出会う。軍需工場に勤労動員され疲れ果てる日々、氏を支えたのは「いつの間にかそらんじていた」ランボーの詩だった。夜勤明けの帰路、「まるで私自身の内心の呟きのように」いつしか呟いていたという。興味深い逸話だ。優れた詩は読者の内奥に潜み、生の危機の中でおのずと力を増していくのだ。
 藤井雅人『花の瞳』(土曜美術社出版販売)は、花がテーマ。奇しくも今年は花の詩集が相次いで上梓された。その背景には原発事故やテロの不安もあるだろう。「戦乱や大災害などの暗い現実の中でも毎年必ず美しい姿を蘇らせる花は、人々に希望のありかを教え、逆境の中の前進を導いてきた。今の私たちにとってもまた、花が与えてくれる癒しと希望は貴重である。」という作者の花への憧憬と渇望は、詩への思いと重なり合うだろう。花の美しさは、人間世界の闇とつねに向き合っている。
青い花は 向こう岸に佇む/闇の裏から象嵌される 仄かな煌き/もとめる手と 触れあわんばかりの/ちかさに泛んで//しかし水流にへだてられ/手は花にとどかない/水面の不確かな影をながめるうち/しだいに隆起してくる/水龍の背骨の/蛇なりの矛の/曲射砲の/キノコ雲の/黒い輪郭たち//どれだけの夢魔を/過ぎ去らせねばならぬのか/青い花よ 向こう岸で/おまえに逢うまで」(「青い花ノヴァーリスに捧ぐ―」)
 岡本啓『絶景ノート』(思潮社)の詩は「二〇一五年から二〇一七年に発表した詩を書きあらため」たもの。京都に暮らす作者は、季節毎に鈍行列車で日本列島を辿り、モロッコや東南アジアも旅した。そのさなか言葉の粒子が煌めき詩となった。立原道造の「長崎ノート」(死の直前の旅の記録)をどこか連想させるが、この詩集に生死の重さはなく、作者はむしろ無力に身を委ね、刻々生まれる風景や人との関わりの、柔らかさと傷つきやすさを綴っていく。
「たかあく砂煙が巻きあがる/立ち眩み/これ以上、流転には耐えきれない//たしかに荷台から/痩せた男がはるか後方を見つめていた/ぼくにください//どうか その眼を/今日一日を清める一カケラの怒りを/一瞬のうちに雨をたぐる/うぶな呼吸を//これ以上/つぎの一言を発することはできない/ざらつく季節に//つぎの一字をしめらせる/熱い唾液を」(「巡礼季節」)
 金田久璋『鬼神村流伝』(思潮社)の作者は若狭の生まれ。谷川健一氏に学んだ民俗学の知識を駆使し、詩を模索する。北陸地方には、納棺の際に死者を縛る「極楽縄」があるという。
「人知れず 地中で/魔除けの結縄が ほどよく土になるころには/恨みもそこそこに/鎮まるものとみえ/一輪草のマント群落が風に靡く」(「極楽縄」)
 金堀則夫『ひの土』(澪標)の作者も民俗学的視座から書く。故郷の地名と自身の姓との関連にも触発されながら。「ひ」の生命力をうたった詩が面白い。
「わたしの心臓のかたちは/〈ひ〉というひらがな/血の気の多い/〈ひ〉がからだのすみずみまでおくっている/卑わいな血の騒ぎがドキドキする」(「ひを被る」)
 薬師川虹一『石佛と遊ぶ』(ギャラリーb京都)は詩と写真のコラボ集。作者は石仏達に会いに出かけ、祈るようにシャッターを切った。繊細な表情の石仏達が語り出すような詩群だ。

若冲ゆかりの二つの寺へ

先週と今週の土曜日、若冲ゆかりの二つのお寺へ行って来ました。

 

一つは宇治市にある黄檗宗の本山萬福寺です。インゲン豆にその名を残す中国僧隠元が開基です。

 

中国的なお寺に特徴的な、端がはねあがっている屋根が目を引きます。建物自体からどんな重い俗念も持ち上げてやるぞ!という威風を感じさせます。ここで絵師若冲は、渡来僧から悟りを得た証としての道号と僧衣を貰ったそうです。

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若冲萬福寺印可を受けたのは、錦市場の危機を救おうと三年間走り回った直後。きっとその間自分の中に生まれた怒りや俗情を、萬福寺で僧から教えを授かることで、消したいと思ったのかも知れません(ちなみに若冲自身が書いた日記などは残っていません)。

 

しかし絵師の純粋さに打たれて印可を授けた渡来僧は、その二年後に亡くなります。その死を悼み、若冲は石峰寺に石像を作り続けたそうです。

 

私が訪れた時はちょうど昼下がりで、拝観者は少なかったです。しんと大きな魚版が吊り下がり、回廊が複雑に続いているお寺の時空は、不思議に解放的でどこか海の気配を感じさせました。恐らく雲水たちが摺り足で駆けて艶めいたチーク材の廊下の感触を足裏に感じながら、おのずとこんな場面を想像していました。

 

三年間絵筆を握らなかった若冲の白い蓮のような手のひらに、ふうわりと僧衣が載せられる。そして渡来僧と若冲はまなざしを深い信頼の中で静かに交わらせる。そんな一瞬が、この空間にきっとあったのだとー。

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もう一つは、京都・伏見区桃山町政宗(境内は伊達政宗の居館跡)にある、海宝寺です。

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 かつては上述の萬福寺の禅師の隠居寺だったところで、「普茶開祖道場」と呼ばれ普茶料理で知られます。電話したら、お寺の奥様が待ってて下さり、快く内部を案内してくれました。

 

ずっと見たかった若冲の「筆投げの間」をじっくり拝見することが出来ました。

 

天明の大火で焼け出された若冲は、それまでは好きで絵を描いていたのに、住む家もなくし友人宅を点々とし、絵で糊口をしのがなくてはならなくなったそうです。自宅にはたくさんの作品も焼失し、そのショックで脳卒中にもなってしまったといいます。そんな自分を鼓舞し震える筆先で、73歳の若冲はここで障壁画の大作「群鶴図」を描いたのです。

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 その墨絵はもうここにはありませんが、画集で見ると、画面全体に生気みなぎる動植綵絵とは違い、余白を多くとった、繊細ながらも寂しさの滲む印象もあります。

 

二つのお寺を訪れてみて、あらためて思いました。若冲の謎めいた生涯の時間は、その絵に今も流れていて、鼓動している。そして京都という町は、彼が呼吸していた250年前の時空の気配を消し去ってはいない、と。

 

たぶん絵師も見ただろう中庭の木斛の葉が、風に揺れ、秋の日差しに静かに照り輝いていました。豊臣秀吉の遺愛の手水鉢や足利義満愛用の魚版もまたそこにそのままあって。

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 絵師がいなくなった後も、そのまなざしは、ずっと生きつづけているのではないでしょうか。その絵を愛する者たちのまなざしと共に。

『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)

ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』をみました。『空と風と星の詩人』と同じく詩人をモチーフとした映画です。

 

『空と風と星の詩人』がモノクロで過去の朝鮮と日本を舞台とし、非業の詩人の宿命を「物語」として映像化した作品だとすれば、『パターソン』は、カラーで映像そのものにも懲りながら、平凡な日常を送る市井の詩人の「時間」を延々と描いた作品です。

 

「パターソン」と言えば、詩が好きな人、詩を書く人には、どこか耳に覚えがある名ではないでしょうか。そう、ウィリアム・カールロス・ウィリアムズの長編詩です。ジム・ジャームッシュは、この映画を撮る25年位前に、ウィリアムズがパターソンに捧げた「パターソン」を読み、この街に興味を持ったそうです。そして実際にふらりと訪れ、この映画に出てくる滝やビル街を見て回り、ここでいつか映画を撮りたい!と思ったと。

 

そして「ウィリアムズがパターソンという街全体を人のメタファーとして書いていた」ことをヒントに、「パターソンという男がパターソンに住んでいる、ということを思いついた」と語っています。「彼は労働者階級でバスの運転手で、同時に詩人でもあるという。こういうアイデアをすべて当時思いついたまま、長いことキープしていた」と。

 

やがて最初のアイデアは、いくつかの詩にも触発され、様々なシーンとなって現実化した、ということなのでしょう。そして細部の心理の陰影や映像美が枝葉となって広がっていき、七日間の反復しながらも変化する「時間」が鮮やかに生まれたということなのでしょう。まるで詩が生まれるように。

 

アメリカのニュージャージー州の、今はかつての繁栄もなく、どこか荒んだ風景も見せながら、しかし人と人の絆は壊れ切っていない街、パターソン。その市バスの運転手をしながら、詩を書く男パターソンの、妻や友人たちの悲喜こもごもと関わりあいながら、繰り返される日常の時間。それはいとおしくも、はかない。はかなくも、いとおしい。どこか子供のままの純粋さを色濃く持つパターソンにとっては、日常は繰り返されながらも、じつは流浪であるのが分かります。

 

妻と目覚める朝のベッド、朝食のシリアル、職場での同僚との会話、バスの乗客の会話、窓外の風景、滝の前でのランチ、仕事帰りに立ち寄るバー・・それらは全て彼にとって繰り返される日常でありながら、あてどない旅の途上であることをどこか身の内から感じさせます。さすが「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のジムジャームッシュ監督の映画だなと思いました。カメラワークも音楽もこの映画の次元を際立たせるもので、唸らせられました。

 

詩人を描いた映画でしたが、定住者が流浪者でありうること、定住自体が流浪である存在のあり方を描いたこの映画そのものが詩であって、監督こそは詩人なのかも知れないと思ったのでした。

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