面白く読んだ一冊です。
今年初め、TBS社員が、自社のロッカーに保存されていた「放送禁止扱い」の数百本のテープの中から、これまで知られていなかった三島由紀夫のインタビューのテープを発見した、というニュースが流れました。
ニュースで聴くことが出来たのは、作家の肉声の一部だけだったので、もっと内容を知りたいなと思っていました。8月に刊行されたこの本で、インタビューの全容を知ることが出来て良かったです。
巻頭のインタビューだけでなく、インタビューの数年前に 書かれたエッセイ「太陽と鉄」、そしてテープを発見したTBS社員小島英人氏によるあとがき「発見のことー燦爛へ」も収められています。小島氏は小学生の時に自決事件に遭遇し(これは私も同じです)、「 世界の深遠と懼れと謎を感じて以来の執着」があったそうです。
インタビュアーは『太陽と鉄』のイギリス人翻訳者のジョン・ベスター氏。日付は1970年2月19日、つまり自決のおよそ9ヶ月前です。ちょうどインタビューの日の朝に、最後の作品『豊穣の海』の第三部「暁の寺」が完成したと作家はこのインタビューで語っています。小島氏によると声はのびやかでほがらか、呵々大笑も交え、作家の人間的な姿を感じさせるものだったそうです。
インタビューと「太陽と鉄」は、内容的に重なる部分が多いです。ベスター氏が同作の翻訳者であり、翻訳を完成させた後に確認のためにインタビューしているので、それは当然のことでしょう。しかし語る相手のいるインタビューの方はより平明で、話題も多岐にわたり、活字で読んでもたしかに明るく穏和な感じがします。9ヶ月後にあのような最期を遂げるような不穏さは殆ど感じられません。一方「太陽と鉄」は限りなく暗い。真空の中で死を凝視するぎらぎらした作家の目だけがあるのです。
もちろん、「太陽と鉄」に湛えられた死への決意こそが作家の本音であり、真実なのだと思います。「太陽と鉄」とインタビューは、陰画と陽画の関係にあると言えるかも知れません。
生まれながらにタナトスを抱え込みながら、あまりに言葉に鋭敏だった作家にとっての、戦争と戦後の意味は、逆説的です。戦争は「終わり」の幸福と陶酔をもたらしたのであり、戦後という時間は「偽善」でしかなかった。その偽りの時間の中で言葉によって「純粋さ」を取り戻そうとしながら、いつまでも果てなく続く言葉にあらがうために肉体の純粋さを追い求め、その果てに、必然的に自決という行為に至ったのだと、この一書によって理解しました。
作家の、憲法九条や平和を偽善だとする挑発的な見解も、それだけで反感あるいは共感を持ってはいけないのだと感じています。生と死、言葉と肉体、そして人間を満たし取り巻く虚無という視点から作家の声に耳をすますことー。このことはまたあらためて書きたいなと思います。