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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2018年3月23日付しんぶん赤旗文化面「詩壇」

     〈人間〉を生み出す

                                             河津聖恵

   侵略戦争や植民地支配の加害責任を、日本人である私が我が身に引き受けて考えることは、辛く難しい。しかし支えとなる言葉がある。「〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる」。石原吉郎がエッセイ「ペシミストの勇気」で述べた鋭い逆説だ。

    シベリア強制収容所で目撃した友人の記憶にもとづく言葉だ。誰もが他人を押しのけなければ生き延びられない状況で、友人はつねに自ら不利な位置を選んだ。そうすることで、自身の加害者性と向き合おうとした。その向き合いこそが、加害者だらけの世界で〈人間〉を放棄させず、むしろ深める力を友人にもたらしたのだ、と。
   先日韓国の文大統領は、慰安婦問題について「加害者である日本政府が終わったと言ってはならない」と語った。その言葉と半世紀前の石原の言葉は共鳴する。大統領の言葉は政府だけでなく、国民の一人一人にも向けられている。加害責任と向き合うことが〈人間〉を生み出す―この逆説に打たれなくてはならない。
   現代詩で加害責任が話題になることはない。一方短歌はことなる。「現代短歌」3月号で戦後世代の大田美和と江田浩司が連作で加害責任と向き合う。近藤芳美と尹伊桑をモチーフに、韓国の旅の記憶や哲学者の言葉を織り交ぜつつ、歴史や死者の声に応答し歌い継いだ。「うす闇にあらしめし世を傷痕を詩としてうたふ静かなる意志」(江田)、「洗足館(セビヨンガン)のみを残して破壊せり……いつまでも謝るしかないじゃないか」(大田)―。一人称を手放さない短歌の力が、アクチュアルな人間の歌を可能にした。では虚構や非人称に依拠しがちな現代詩はどうか。どんな回り道であっても目指すべきは、〈人間〉の詩である。

         

信仰者の詩をどう読むか

  キリスト教の信仰を持つある書き手の方の新詩集の帯文を書かせていただいた。来月には刊行されるだろうか。

  頼まれた当初は、うれしく思いつつも、一方で不安でもあった。キリスト教の信仰を頭でしかわからない私が、その信仰をもといに書かれた詩に足を踏み入れていいものか、ただ表面を分かったふりで土足で通りすぎることになりはしないかと心が落ち着かなかったのだ。

 しかし振り返ってみれば、私も母親が熱心なクリスチャンで、小学生の頃は日曜学校にも通っていた。結局入信はしなかったが、その時の幼心に深い印象を残したのは、「神がいる気配の感覚」だった。例えば、クリスマスに、日曜学校の生徒たちでキリスト降誕劇をやった時(私はマリアの役をやらされそうになって慌てて自分から手を挙げ、一人笛でほそぼそと音楽を奏でる役だった)、暗幕で光を遮り、厩の闇の雰囲気を出したのだが、その時の闇の濃さは確かに遥かな時間を超え、まさに劫初の闇のものとして不思議に実感された。また教会の庭にうららかな日が差した春には、輝く噴水や花々を見つめながらシスターが、「すべてに神様の愛が宿っているんですよ」と言った時、本当に細部まで眩しく照り返された気がしたこと。その後、思春期が始まったせいか、内面にまで介入されたくないという気持がつよまり、教会から足は遠のいてしまった。しかしあの時期に、果たして信仰の萌芽があったのだろうか、あるいはむしろ不信の萌芽が始まっていたのか。客観的には分からないが、今の自分を省みると恐らく後者ではないかとも思うが、違うかも知れない。

   話はそれたが、問題は信仰を持つ書き手の詩を信仰を持たない読み手がどう読んだらいいか、ということである。まず「信仰者の詩」と銘打っていたら、読み手はどう感じるだろう? 恐らく少なからぬ読み手が、「ああ違う世界の人ね」と敬遠するのではないか。もちろん、確かに神の愛への賛美を天真爛漫にうたう詩がないわけではないが、偏見からそう見えてしまう場合が少なくないはずである。それゆえ実際そう銘打たれることは殆どない。しかし信仰とは信仰者にとってはその精神の根底にあるもので、恥ずべきものでも敬遠していいものでもない。その人の詩を深く理解しようとするなら、その人の信仰はむしろ欠かせない要素である。さらには、書き手は信仰を持つにもかかわらず、なぜ詩を書いているのかというところにまで想像が及んでいかなければならないのではないか。

   しかし同じ信仰を持たない者にとっては、実際それは至難の業である。

   だから今回帯文を書くに当たって、信仰にたいする自分の鈍感さを何とか揺さぶっておかなくてはならないと思った。そこでふっと心に浮かんだのが、石原吉郎である。八年間シベリアに抑留され、帰国した直後から詩を書いたが、やがて十五年後に抑留体験と信仰をめぐるエッセイを書き始めた。私も三年前に刊行した『闇より黒い光のうたをー十五人の詩獣たち』で「詩獣」の一人として石原を取り上げたが、その後何かずっと書き足りなかったものがあると感じていた。他にも石原についての論集がいくつか出たが、そのどれもにも同じような不全感を感じざるをえなかった。足りないのは、石原の信仰という観点である。それは信仰をエピソードにしてしまうような批評の文脈には絶対に乗り切らない。石原と同じ信仰を持ち、それゆえ同じ希望そして同じ絶望を知る者だけが、信仰を中心としてそこから内面深くに分け入ることが出来、ようやく十全とした石原論を生み出すのだと思う。

   しばらく前に買って少しだけ読んで本棚にあった柴崎聰『石原吉郎 詩文学の核心』(新教出版社)が、目に付いた。石原と同じ信仰者による石原論である。石原のことばにミリ単位で迫る論の運びに、圧倒された。買った当初はそう思わなかった。恐らく今回帯文を書くに当たってキリスト教の信仰を理解したいという、私自身の思いがあるから、この本が石原吉郎に迫っている深度をようやく感じ取れたのだと思う。当初は「信仰者が描いた石原吉郎像はどうかなあ」と思っていたようだ。その時は私自身が石原論を書くために読んだので、自分の中にある抑留体験を核とした石原像を優先したのだろう。しかし今はこの本の、信仰というテーマから見た石原像や詩の解釈が恐らく最も正解に近いだろうと感じる。私の中で書き足りなかったと思っていた部分が、みるみる埋められていくのが分かった。石原吉郎のいわば実存に近づきたいと思うならば、これは最良の手引きである。

   この本で引用された石原吉郎のエッセイの次のことばは、信仰者の詩とは何かをおのずと物語っているように思う。

 「信仰とは、いわばありえざる姿勢の確かさである。そしてそのような姿勢にリアリティを与えるものが、不安としてのことばであるように、私には思える。信仰というすがたのあやうさと、ことばのあやうさが、そこで生きいきと対応する。その対応への不安が、信仰のリアリティであり、それをうらがえせば、存在の根源的な不安さのリアリティとしてのことばではないかと私は思う。」(「信仰とことば」)

  信仰者の詩は、詩というものの本質が不安にあること、そして今むしろそうあるべきことを、教えてくれる「不安に目覚めた詩」なのかも知れない。f:id:shikukan:20180318233915j:image

 

 

 

2018年3月5日付京都新聞「詩歌の本棚/新刊評」

   金時鐘佐高信『「在日」を生きる』(集英社新書)は、日本語が母語の者が意識しにくい、日本語に潜む負の力を指摘する。五十音による発音の排他性と、情感に均されることによる批判精神の欠落だが、現代の書き手はそうした問題と無縁だろうか。むしろそれは新たな相貌で見え隠れしていないか。植民地下朝鮮で自己形成した金氏の眼差しは厳しい。「詩とは行き着くところ、現実認識における革命だと思います。現実を認識する、その意識すらぼうっとさせてしまっているのが今の日本的風潮ではないでしょうか。だから戦前回帰がわりと容易なんですよ。」
 崔龍源『遠い日の夢のかたちは』(コールサック社)の作者の父は恐らく金氏の世代。同じく朝鮮で生まれ育った。作者は日本人の母への愛とは対照的に、幼時から父への愛憎に引き裂かれていた。だが父の死は愛(サラン)による転回をもたらした。「詩を書くからには、愛さなければならない。生きることを、この世界を。」(あとがき)とあるように、詩集全体に生への愛が込められる。愛とは戦争と悲しみのない世界への強い希求だ。大震災をモチーフとする「三・一一狂詩曲(ラプソディー)」から。
「北斗はうたうな/宙宇をさまよう死者たちへの挽歌を/オリオンは弾くな/生き残った者たちの悼みやすすり泣きを/それぞれの死と生に/ふさわしい内部の声が育つまで/(略)/この絶望を掘り下げよ あなたもまた/あの痛ましい海の底に届くまで 掘り下げよ/そうして生命が初めて生まれた海の底に届いたなら/くみ上げよ わたしは私自身に見合う恥なきことばを/あなたは 希望を」
 中村純『女たちへ』(土曜美術社出版販売)の作者の祖父も、十六歳で「玄界の海を渡って/母のいのちを経て わたしのところにやってきた」。二十歳の時初めて戸籍を見た作者は、祖父の欄が空欄であることに驚く。その後長い間アイデンティティをめぐって葛藤を続け、やっと「純」というどんな制度にも定義されない「ただの伸びやかないのち」(「戸籍の空欄」)に辿り着く。本詩集の言葉は、そうした「いのち」から率直に紡がれている。
「祈られているのは 私たち/祈っているのは/海の底に在る 喪われた人たち/核の閃光に 焼かれた人たち/韓(から)の国の 詩人たち//永久歯ひとつの少年の声/蜩の亡骸(なきがら)拾う ちいさな手/東京を離れて三年 京都の夏夜/息子の面差しに 送り火 映えて」(「八月の祈り」)
 吉井淑『水の羽』(編集工房ノア)のモチーフの大半は故郷の自然と家族の記憶。都市の片隅に生きる小さな自然の姿もまた、共苦とも言える眼差しで鮮やかに描き出されている。
「外環状線沿いの/石積みのすき間に咲いて/スモッグの綿と轟音のなかで/明日があることは苦しいだろう/(略)/泥と水に生え出た根/胎児のままそよいでいた頃の/つぶやきの方へ/うつむいている菫/地上にはとどかないことばの方へ//雲の数を数えよう/三つ 四つ 五つ/ひつじ いわし げんしぐも/そのむこうに/そよぐ根//菫にも熱があるのだろう/信号は赤から青へ/青から赤へ」(「菫」)
 鈴木賀恵『ムーブメント―花―』(同)は、八十五歳を区切りにまとめた第五詩集。生の真実を柔らかに伝える技量は、大震災を描く詩でも生かされている。
「海と人間は同胞(はらから)の筈なのに/三階建てのビルの上に遊覧船を置くなんて/あんまりだと思いませんか/その上、意地悪な引き波なんて//叫んでも/頼んでも/波の音で/海には聞こえない」(「海」)

2月26日付しんぶん赤旗文化面「詩壇」

「政治と詩」というテーマは難しい。この国では残念ながら詩人たちにも政治への忌避感が根深いが、そもそも詩という個人的でよるべない言語芸術が、政治という集団的で巨大な問題と向き合うことは、容易ではない。
 だが東日本大震災原発事故は、詩が個人的でよるべないものであっても、あるいはそうだからこそ、政治と向き合う力を持つことを教えたのではなかったか。あの時詩もまた否が応でも政治を突きつけられた。七年前に撒かれた種は今、どのように芽吹いているか。
現代詩手帖」2月号は、批評特集。添田馨「カイロス降臨」は、二〇一五年九月国会前で安保関連法案反対デモに参加した体験に触れる。添田氏は大勢の参加者たちとの一体感と共に、情況と歴史との一体感を感じ取ったという。「カイロス的時間」とは、「創造と運命とが一つであるような時間」。デモに参加しながら氏は、過去に「国内外の反権力・反ファシズム闘争」を闘った「顔も名前も知らぬ」「先人たちとの運命的な繋がり」を、リアルに実感した。私も当時国会前にいたが、あの時空の特別な感覚は確かに「カイロス的」と呼べるものだったと思う。かつてそこに立った全ての人々が今ここにいるような、不思議で濃厚な気配と熱気を感じていた。
 一方「詩人会議」1月号の齋藤貢「草のひと」は被災地の「時間」を突きつける。「土に生きる草のひと」にとって、時間とは一瞬たりとも途切れない苦悩そのものだ。
「だから、草のひとよ。/もっと声高に語れ。/ここで安らかに眠るためには/声を荒げて、何度も言わねばならぬ、と。/汚れた土地を放置して、無防備に/世界を置き去りにしているのはいったい誰か、と。」

 

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書評・中川成美『戦争をよむ』(岩波書店] )(図書新聞3338/2月10日号)

  思えば最近まで、戦争を描いた作品をあらためて手に取ることはなかった。子供の頃は戦争体験者の父が多くの戦記物を買ってくれたし、世間で戦争の記憶が風化しても、両親が亡くなるまでは彼らの存在がおのずと記憶を喚起した。だが彼らの死後、私は戦争を急速に忘れていった。だが気がつけば、すでに濃く立ちこめていた新たな戦争の気配―。あらがうための方途を過去に探るしかないと痛感している。
 本書は、著者にとって「極めて肉感的に戦争に触れた」七十篇を紹介する。「肉感的」とは中野重治がよく使ったそうだが、この書で端的にそれは、戦争と文学の「抜き差しならないほどの共犯関係」を「打ち破っていく」可能性の実感のことだ。あるいは「底の方からグッと押し上げてくるような実感をもって、私の内部に突き刺さってくる」痛覚である。その肉感性という評価軸において、拷問死した小林多喜二と戦争に協力した徳田秋声がこの書で肩を並べる。詩やエッセーなども含めジャンルは多岐に亘る。
 新聞での連載がまとめられている。媒体が要請する簡潔さ、具体性、分かりやすさが、七十篇の「肉感性」の魅力をしっかりと伝える。限られた字数で著者は、作者たちへの敬意をこめつつ、現在の状況をめぐって自身の言葉を読者へ手渡そうとする。それが作者たちの声と一体となり私の心に残った。「その作品の一つ一つに描かれた人間という存在への懐疑を手がかりに、戦争と文学の関係を想像力の拠りどころとして再構成したいというのが、本書を出す最大の理由である。その文学的想像力こそが、今ある思索の困難を照らし出していくことになるであろう」。
 それぞれ十二、三篇前後を収める五章と、終章から成る章立てが示すのは、文学が「戦争に巻き込まれる」あり方と、戦争との「紐帯を断ち切る」力の多様性だ。第一章「戦時風景」では、敵か味方か、市井か兵士かを問わず、人間が見た戦争の風景を集める。「戦争における一日一日の身体と精神の緊張」が個々人の内部に「人間存在への深い洞察」を打ち立てる過程を描いた作品群である。徳田秋声『戦時風景』、野間宏『顔の中の赤い月』、江戸川乱歩防空壕』、原民喜『夏の花』など。第二章「女たちの戦争」は、戦争の被害者でもあり加担者でもある女性が、戦争によってもたらされた「痛苦と虚無」とどう向きあったか、さらにはどう「情愛」を再構築していったかを見る。田村泰次郎『蝗』、高橋たか子『誘惑者』、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』など。第三章「植民地に起こった戦争は――」は、「征服する側の言葉、征服される側の言葉、そして、その相克のなかで生み出されていった、せめぎ合う言説の現場からの言葉」を集める。吉田知子満州は知らない』、張赫宙『岩本志願兵』、モーナノン『僕らの名前を返せ/燃やせ』など。第四章「周縁に生きる」は、間断なく戦争に身を投じていく近代日本の「周縁に追いやられた人々の姿」を描き、社会矛盾を批判した作品。無産者、在日、沖縄、被爆者、死刑囚。小林多喜二『転形期の人々』、カズオ・イシグロ遠い山なみの光』、安本末子『にあんちゃん』など。第五章「戦争責任を問う」は、「強く戦争への忌避を主張する文学・評論」。ヘミングウェイ『兵士の故郷』、石川淳マルスの歌』、平林たい子『盲中国兵』など。なお新聞連載中、著者は作品の現場となった場所へも旅した。その濃厚な時間も文章に反映する。
 今後憲法改正へと一気に進もうとする国家に癒着する国民を、文学はみずからの「肉感性」の魅力で個々の人間に立ち返らせ、戦争への流れを変えられるか。この本の声たちは口々に叫ぶ。どうか最後まで諦めず、戦争がなぜ生み出されつづけるのかを考えてほしい、と。f:id:shikukan:20180211140638j:image

この青からより青なる青へ 歌集『青の時計』(荒川源吾)書評 ・「思想運動」2月1日、1015号

   白地にタイトルと名前だけを刻印したシンプルで美しい表紙。前後の見返しには著者の住む町なのか、郊外の濃青の夕暮れの写真が刷られている。どちらもこの歌集の内容を見事に象徴する。前者は集中の歌「立つものが全て時計になる真昼晴天(はれ)の雪野に青く正午(ひる)をさす影」、後者は「暮れて尚空のあかきはひんがしの暗きに兆す空の陣痛」を連想させる。光と闇、生と死、時間と永遠―それら根源的な裂け目に、裸形のたましいで触れた痛みと歓びから生まれた歌々がここにある。まさに「夕雲を葡萄百顆のいろにそめ日は熟れ闇の大壺に落つ」の、「百顆」の生命となって迫ってくる。
「青の時計」というイメージの端正な美しさとそれゆえの未知の痛覚。それをどこか感じつつ読み進めると、「立つものが全て時計になる」の「時計」とは、作者にとっての短歌の立ち姿そのものなのだと思えてくる。どの一首にも唯一の生の時間が、樹液のように静かに立ちのぼっている。だが短歌とはそもそもそのようなものだったのではないか。それは記録でも記述でもなく、それは虚空の青に吹きさらされる人間の、より美しき世界への祈念なのだということを、この歌集は鋭く教えてくれる。空の高みでもあり地の底でもあり、受容でもあり拒絶でもある青に、木々のごとく吹きさらされる者だけが、そこに隠された声々を聴き取りうることを。「詩歌とふ迷路にあれば聞え来る語られなかつた底ごもる声」。
  声の主は、非業の死者でもあり石でもあり、火でもあり風でもある。あるいは声は森羅万象のまなざしとなり、死を意識した作者の裸形の魂に、今こそうたえとかきたてている。この深みから別の深みへ、この青からより青なる青へ、と。
 自己、他者、社会、自然―『青の時計』はそれらに私たちが向き合う時間を、生の痛みと歓びとして深めるよすがとなる稀有な歌集だ。白を汚しながら読み返し、白に書き込みつづけ、私自身の「時計」にしていきたい。 

 

*本歌集は私家版です。「思想運動」小川町事務所で取り扱っているとのことです。
 

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2018年1月29日付「しんぶん赤旗」文化欄・「詩壇」

  日本の戦後詩は1947年、詩誌『荒地』創刊から始まる。昨年は70年目に当たったが、詩の世界に戦後詩を振り返る動きがほとんど見られなかった。なぜだろう。
 同じく敗戦の荒廃から出発しつつ、『荒地』は詩人の流派として主にモダニズムの姿勢で書き、もう一方の雄『列島』は運動体として民衆と結びつき、プロレタリア的手法を取った。今詩を書く者が両者について考えることは、決して無意味ではない。70年後も戦後の矛盾と精神的な荒地は続いているのだから。
 だが現代詩の一隅に変化は見えている。現在の荒地がもたらす痛みから、もがきつつうたう若い詩人達の登場だ。彼らは人間を分断させ疲労させ続けた「失われた二十年」による社会の荒廃を、幻視(ヴィジョン)としてつかみ表現する。書くことは彼らが生き抜くことそのものだ。
 佐々木漣(れん)『モンタージュ』(私家版)は、自己同一性の不安、愛の欠如、死への親近といった人間の危機を、鋭い逆説と不穏な詩性で描き出す。詩「あらゆる命と戦場にいた」は、止めどなく不可視の戦場と化す社会の真相を突きつける。
「塊が熱い熱いと喚きながら/粗大ゴミのようにコンテナに乗せられ送られていく/あの断崖の先に、落ちるでもなく、飛ぶでもなく/幻の線路を走り、現出した新たな戦場へ呼ばれてく/あの国では、死者の多さこそが豊かさの象徴なのだ/やがて見えてくる、彼の地/あれをイマジンと呼ぶのです/訳してください//暗い虹が見える信仰のない0日目/あらゆる命と戦場にいた/皆、震えていた」(末尾部分)
 佐々木は30代。橋本シオンや魚野真美といった20代の詩人も現れた。生きるための新たな詩が、胎動している。