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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2019年4月22日しんぶん赤旗文化面「詩壇」

  3月11日を奥付に記す中村千代子『タペストリー』(グッフォーの会)に深い感銘を覚えた。タペストリーとは室内を飾る西洋の織物。機で絵柄を織り出し、完成まで何年もかかるものもある。作者は長い歳月をかけ死者たち(作者もまた大切な人を失ったのか)の蘇生を祈りつつ、20篇の被災地の幻想の情景を織り上げた。思考と感情の縦糸と繊細な日本語の横糸で。
「萌生の湿地はしろい水域をひろげ/止むことのない粒子が春を阻んでいる/とじられた錆びの柵戸をゆさぶって/真昼の月を劈く/消滅してゆくものが視ている凪ぎの海/目の臥せを縫いとってゆく灰/弔鐘は最後の耳を塞いで/背骨の海を撓ませる」(「1」)

  放射性物質を「止むことのない粒子」と表現することで、作者は詩の矜持を守った。この詩集の修辞がやや難解なのは、一語一語に長い歳月の悲しみを込めたからだ。なぜ多くの人が死なねばならなかったか、故郷を去らねばならなかったかという問いへの答えを、言葉を尽くし模索したからだ。
  原発事故に土地を奪われた人と牛の姿。「噛み返しの涎をいくすじも垂らしてうごかない/背を拭き背を撫で無言をこぼして/牛を牽いてゆくひとは/草の地を牛の地を捨てなければならない/風は杙のあたりに冬の実をよせている/まぼろしのような生に/ひと鞭を放ってたち竦む/塔に灰はふりつづけ/草がみだれても廃墟になりえず/おおいつくす灰の積み荷」(「5」) この後牛は河口を下り、人は天を仰ぎ牛追い唄を聴く。
  細部までもが魂のプリズムを通し描かれる風景は、やがて蘇生の場となる。復興の掛け声が席巻する中、このような詩が密かに書き続けられていたことに救われる思いがした。

HP「詩と絵の対話」を開設しました。

詩と絵の間にある豊饒な関係に、詩作品、論考、エッセイで分け入るHP「詩と絵の対話」を開設しました。以下のURLです。

https://shikukan.com

ここでは絵と詩の関係を具体的なすがたで見ていきます。そこから詩とは何かへの新たな答えが、色とかたちを伴って鮮やかに描き出されることを期待してー。

 

第一回は若冲連作詩やその解説、また「清田政信の黒」というエッセイを書いています。

 

どうぞご高覧下さい。

2019年3月26日付しんぶん赤旗文化面「詩壇」

   一九九八年一月に享年四十九歳で亡くなった詩人・小説家川上亜紀氏の新刊小説・カシミア』(七月堂)が出た。川上氏が所属した詩誌『モーアシビ』(編集発行人白鳥信也)も、別冊で追悼特集を組む。

  学生時代から難病と闘いながら書き続けた。上記の他に詩集は四冊、小説集は治療体験を描く作品を収めた『グリーン・カルテ』(作品社)がある。『チャイナ』の解説で笙野頼子氏は言う。「その編み目に狂いはなく欺瞞はなく、そこにいきなり生の、真実の「小さい」感触が入ってくる」。「真実の感触」とは詩的な物質感のことだろうか。あるいは鋭敏な自己意識、幻視、ユーモア、何より病苦を、今を生きる幸福へ解き放とうとし続けた意志か。

「彼方の砂漠の国では戦争があり/あなたはそのニュースを聴きながら/来たるべき瞬間のために爪を研いでいた/雨の匂いは重くたちこめて/湿度の高いこの国の上空には/いくつかの花火が上がっていた」(「夏 1」)

 若い頃の作だが、心に秘めたつよい反戦の思いを感じる。氏のツイッターから、戦争法案が強行採決された二〇一五年夏、病身を押して国会前に行っていたと知る。中でも次の言葉に深い感銘を覚えた。「強行採決は予測されたことではあったと言ったけど、それはなにをしても無駄だという意味ではなくて、ただ長い道のりなんだということ。デモも署名も意見の表明も、それからただ考え続けることもなるべくいやな気持にならないでその日その日を過ごすことも。」

  人間の苦難にどこまでも寄り添い励ましてくれるものが、詩なのだ―。川上氏の珠玉の言葉は今も詩の光を放ち、時代の闇に抗している。


2019年3月18日付京都新聞「詩歌の本棚/新刊評」

 ここ最近、ある絵師の絵をテーマに連作詩を書いている。試しに一つ作ってみると面白くなり、いつしか連作になっていた。絵という無言のものに、言葉でぶつかっていく時の解放感。絵の強烈なイメージの力に揺さぶられ、言葉におのずと新たな生命力がもたらされる実感。恐らく詩は詩だけで煮つまるのだろう。他の芸術と向き合い触発されることは、たしかに重要だ。詩が世界へ豊かに開かれ、生命を更新するために。 

  江口節『篝火の森へ』(編集工房ノア)は、神戸三宮にある生田神社で毎年行われる薪能のパンフレットに寄せた、各演目をテーマに書いた詩をまとめた。歴史が浅く、形式も自由でテーマも時代に影響される現代詩によって、「六百年の歴史をもつ能楽の堅固な様式」に向き合った。「能に向き合うには、自分がぶつけたことのない生々しい情念を正面に引き据えざるを得ない。私には最初、これが辛い作業であった。しかし、能のプロットに被せて想を進める方法は、無理なく徐々に内側を開いていくことができて、次第に解放感に浸るようになった」。こうした作者の感慨が逆照射するのは、個に閉ざされたがゆえに現代の情念を表現する力を失った、今の詩の有様だ。

「今は 己が闇に穴居する者/闇と知らず闇を抱えるもの/荒ぶるそぶりも見せず/和らぐ振り まつろう仕種(しぐさ)に//知らず/千筋の糸に巻き取られていく/空見つ 日本(やまと)の美しき緑/幸豊けく みちのくの海/ここに消え  かしこに結ぶ水の泡の/セシウム トリチウム ストロンチウム//もはや土蜘蛛とはできぬ/天降(あも)りましぬ神々の末裔 われらを/何と名づけよう/平らげる武者たちも無き/世の果てで」(「千筋の糸」)

 根本正午『仮象の塔または九つにわかたれたあのひとの遺骸をさがす旅』(書肆山田)は、仏、鬼、罪人の姿を収める大曼陀羅図(だいまんだらず)にならった構成だ。入れ子状の八一の散文詩篇で、「一つの巨きな正方形」を螺旋状に形作る。「日本語の中心にあるうつほを「あのひと」と名付け、周辺を埋めてゆくことによって、その空虚に形をあたえようと試みた」。そうしたテーマと形式が、ひらがなの多用と語の反復により一体化しうねる。句読点なしで延々と続く語りは、シンガポールで子供時代を過ごした作者のどこかに宿っているはずの、熱帯の生命力さえ感じさせる。

「くさりおちた肉は花に食われ千年に一度咲くという青に染まる下着の汚れよりこねあげた子供の親の子供の親の子供の親の子供の親の透明な家にいない父の面影で柱がもえていて塔をつなぐ道にたおれた兵士たちの骨が散らばる広場の皇居のスルタンの祈りの声がひびいてくる七億の色のステンドグラスよりさしこむ生者の世界より声がきこえてくるお父さんとよぶ声がだがなにもこたえることができず(…)」(「1右上の脳」)

『言葉の花火2018』( 竹林館)は、三年に一回のペースで制作される詩集の第七号。関西詩人協会会員の詩(京都の詩人も多数参加)に英語の対訳を付ける。昨秋逝去した佐古祐二氏の詩「親しきひと」は、死に触れ生が思わぬ燦めきを見せた一瞬を、絶妙に捉えた心象スケッチだ。

潮騒が/忘れられた麦藁帽子を洗うたび/真夏の喊声(かんせい)を切れぎれに運んでくる//死と向きあう/とひとはいう/が考えてみれば死は/座っているのだ/私の傍らにそっと/親しきひとのように//その親しきひとが私に語りかける/海が光っている/こんなにも海が光っているね/と――/白い帆に追風(おいて)を孕(はら)んで沖をゆくヨットの影」(全文)

 

2019年2月20日付「しんぶん赤旗」文化面・「詩壇」

  昨年10月詩人・仏文学者の入沢康夫氏が亡くなった。宮沢賢治やネルヴァルの研究、詩集『ランゲルハンス氏の島』『わが出雲・わが鎮魂』などで知られる。1980年代に現代詩の世界に足を踏み入れた私は、「詩は表現ではない」「作者と発話者は別だ」という主張を、当時流行したポストモダンに与するものと捉え、現実に向き合う詩を否定しているといつしか思い込んでいたらしい。

  代表的な詩論集『詩の構造についての覚え書』(思潮社)を再読した。ハッとしたのは、初版の刊行が1968年、つまりいわゆる政治の季節の最中であること。じっくり読み進めると、件の主張の背景にある文脈が見えて来た。かいつまめばこうだ。詩が作者の純粋な表現だとして構造や関係を省みないことが、詩をゆきづまらせている。詩の諸要素の関係を解明し構造をダイナミックなものに鍛え直し、詩を「感受性の新しい容れ物」にして現実と対峙すべきだ―。

  注目したのは以下の内容の箇所だ。構造=「つくりもの」でない詩はない。だが「つくりもの」という観念は「うさんくさい」。なぜなら権力者が「自らの秩序を、それ自体が一つのつくられた秩序であるくせに、自然の秩序の名の下にそれを隠蔽しつつ、広く及ぼし、そしてこれに対立する秩序を構想することを「つくりもの」として人々によって排斥されるようにしむけて来た」から。それに対し詩は、自身の「つくりもの性」を自覚しその可能性を追求することで、支配者の意図をあばきうる。詩の反逆性としての自由と倫理を突きつけうるのだ―。

 『現代詩手帖』2月号も特集を組む。すぐれた詩人の営為を忘れず、その真意に今こそ耳を傾けたい。

 

2019年2月4日付京都新聞文化面「詩歌の本棚/新刊評」

  もうすぐ石牟礼道子さんの一周忌(二月十日)。作家というより詩人と呼ぶべき人だと思う。その言葉は水俣という風土への情愛と葛藤によって、比類なく豊かな生命をもたらされている。詩とは風土と必然的に葛藤するもの。だが詩が葛藤することで、風土は隠し持つ生命を分かち与える。詩人が漁民と苦しみを共にした果てに幻視した不知火海の輝きは、私が知る中で最も深く美しい詩である。

  平塚景堂『白き風土のかたえに』(編集工房ノア)は第四詩集。「白き風土」とは、京都の名高い禅寺院の美術館長である作者が、禅哲学によって透視した京都などの風土の姿でもある。あるいは風土に抗して立ち現れるモダニズムの地平ともいえるだろう。哲学とモダニズムの間で、詩の抒情性を知的にピンポイントで模索している。やや箴言的で難解な箇所もあるが、全体としてモダニズムの空性とでもいうような軽妙さがあり、読者を仏教的な永遠、あるいは時空の氾濫へと誘う。

「昼下がりの 糺(ただす)の森で/見知らぬ男たちが 氾濫している/ガラス窓が たったひとつの瞳孔に/氾濫している//水郷の やわらかな淋しさ/葦原を渡り 季節の果実の変種となり/風の山河に 氾濫する//ああ イセ イズモ スワの/うるわしい真昼野/うるわしい孤絶 白沙 いずみ川/底なしのいずみ 倒れ続ける木立(こだち)/わたしには隠されてある かりそめの めまい/振り向きざまに見た/密林の葬列 そこに そのときに/神々が とめどもなく/見境(みさかい)なく世界を 滅ぼして/氾濫しはじめたのだ」(「氾濫の書」) 

   橋爪さち子『葉を煮る』(土曜美術社出版販売)は、生や死への問いを詩を書くことで煮つめていくかのようだ。観念でなく濃厚な五感や激しい情動の次元で答えを模索する。京都生まれの作者は、いくつかの詩で京都の風土を背景に用い、詩の密度を上げている。古都の陰翳が生死への問いを包み込み際立たせる。京言葉で恋愛の機微を語る物語詩二篇も面白いが、「古武士」のように働き者のミシンへのオマージュ「黒ミシン」もいい。やはり京都の「小間物屋」なのか。「私」は古い黒ミシンの凜とした生き様(?)に感銘し、店を出る。

「小間物屋を出ると/市役所前の丈高く色づいた銀杏の古木が通りを/走りゆくメタリックな車体を次つぎ黄に染める/威風堂々/銀杏と百年の黒ミシンが重なって//たがいに繋がりを持たないものが/ふいに音律のように繋がるとき/おおきく温かな手がくいと肩を抱くかのよう//風紋の果てのドレープ袖/ミシンの下糸釜と女性器の酷似/落日の金波と坊様の背をまたたく望郷/それより/仏さまの螺髪と宙(そら)の運行の悠久な右螺状//いいえ/螺状というなら糸こま/糸こまというなら やっぱりキドの/傷にまみれた武骨な黒ミシン」

 沢田敏子『サ・ブ・ラ、此の岸で』(編集工房ノア)は、戦争のために異郷で生きざるをえない人々に思いを寄せながら、自身の家郷のかけがえのなさを、懐かしい事物をなぞりつつ描き出す。例えば梅の湾曲した古木は、「くらぐらと畑に立つ」祖母のいとおしい姿と根源的に重なるのだ。

「梅の中に母が/いるとは知っていたが/梅の中に祖母も/いたのだった/生涯その足で踏み固めたような庭(おもて)に/梅の実やしその葉を干しながら/おもいをはなつように/こごんだ腰をそらせたものだ/おうめさ――のふたつの乳房は/地を見るばかりだったが/豊饒多産をなかだつ梅は/くらぐらと立つ体軀から/清浄(しようじよう)の花をひらくのだった」(「うめ」

2019年1月22日しんぶん赤旗文化面「詩壇」

『村上昭夫著作集(上)ー小説・俳句・エッセイ他、北畑光男編』(コールサック社)が、没後五十年目の昨秋刊行された。

 村上は一九二七年岩手生まれ。敗戦間際十八歳で渡満し四六年帰国。翌年郵便局員となり組合機関誌に作品を発表。五〇年結核発病後は療養所で詩や俳句を創作し、六八年『動物哀歌』でH賞を受賞するも、同年四十一歳で病没した。 

  短編「赤い戦車」は鮮やかな反戦小説だ。日中戦争初期、町に数台の戦車がやって来る。教師間野は図画のために生徒達に見学させる。「これで悪い支那兵を、皆んなやっつけてやるんだ」と興奮する間野に、貧しく成績の悪い武一は「先生、支那人てそんな悪いんだべか」と無邪気に笑いまごつかせる。翌日皆が立派な戦車の絵を提出するが、武一だけは赤い戦車の絵だった。「赤いタンク画いたって可笑(おか)しくない」、「あれはな先生、支那のタンクだ」。衝撃を受けた間野は「少し足りない変った」子と決めつけ、やがて武一のことを忘れてしまう。

  敗戦後武一の戦死を知った間野は、赤い戦車は武一自身だと覚る。武一は不幸な家庭に育ち皆に馬鹿にされていた。「今に中国の人達を殺戮するという戦車に、閉じ込められていた自分の小さな苦悩を塗りつぶしたのではなかったろうか」。赤い戦車は「どうにも仕様がないものへの小さな抵抗」だった。間野は絵を燃やし涙を流し、今の教え子逹を想う。平和への思いに赤く燃える戦車の夢で小説は終わる。

 敗戦後の満洲体験を素材とする長編「浮情」も、虐げられた中国人に寄り添う。長い闘病生活は真実を見る「死の眼鏡」をもたらしたという。近刊の下巻(詩)も併せ、詩人の曇りなき眼差しに学びたい。