萩原恭次郎『死刑宣告』。
このいわゆる代表的なアナーキスト詩人は、今まで名前を知っているだけで
それほど気に留めたことはありませんでしたが、
きっかけがあって復刻版を手にしました。
写真の復刻版は、村山知義などの『マヴォ』グループの手になる奇抜な装丁を
新たに装丁しなおしたものです。
けれど他の写真などからしてオリジナルもほぼこのようだったと思います。
斬新です。
内容も素晴らしいです。
けれどなぜ詩集タイトルは「死刑宣告」なのでしょうか?
(集中に同タイトルの作品はありません)
そのきっかけは「難波事件」(または「虎ノ門事件」)とも言われています。
難波事件。
それは1923年(大正12年)12月27日
難波大助という青年が引き起こした親王(後の昭和天皇)暗殺未遂事件です。
難波大助は衆議院議員の息子でしたが、
関東大震災における社会主義者殺害や朝鮮人に対する大虐殺に抗議しようとして
犯行に及びました。
一年後に死刑判決が下され、
1924年(大正13年)11月15日に死刑が執行されました。
その時の新聞の見出しは以下のようです。
「大逆罪人難波大助死刑を宣告さる」(11月14日大阪毎日新聞)
「逆徒難波大助に/死刑の宣告/只今言い渡さる」(東京日々新聞号外11月13日)
ここで「判決」ではなく「宣告」となっているのは
当時のメディアや世論がどれほど恐ろしい状況だったかを物語っています。
萩原の『死刑宣告』には
この新聞の見出しが影を落としているとも言われています。
(「詩集例言」で最初は『恭次郎の脳髄』としたが、「思ふところあつて」突然『死刑宣告』にした、とあります)