タイトルから分かるように関東大震災をうたった詩です。
しかし正確には
大震災の混乱の中で荒れ狂った「暴力」を暗示的に糾弾する詩です。
詩の内容を読めばすぐに分かります。
首と胴体が離れて笑い合っている=痙攣している、
という凄まじい光景が描かれています。
ことばもまた物体のように
淡々と修飾語も少なく即物的に綴られています。
しかし純粋に震災による死者であるならば
首が切断されるという事例は少ないと思います。
少なくとも首にかじりついて接吻するというほどの
いとおしい親しい人間がたまたまそのような目に遭うという確率は
低いはずです。
つまりこれはあきらかに「殺戮」のシーンなのです。
詩集に収録された頁には、
左右に一組ずつリノカットと呼ばれる版画が添えられています。
黒く塗りつぶされた円と、
同じ大きさ位の正方形が、わずかに離れ印刷されています。
この単純な図形と詩の内容を照応させて読んでいけば
図形とことばが連動し
おぞましい実体がみえてこないでしょうか。
頁が透けて
廃墟の地面に拡がっていく血の匂いさえ漂いださないでしょうか。
まるで伏せ字のようなこれらの図形と
シンプルなことばたちの奥から。
この詩に暗示されているのは
関東大震災において南葛の労働運動家9名が虐殺された亀戸事件とも言われます。
かれらは「種蒔く人」という文芸誌と関係があった人々でもあり、
その中には恭次郎と同じ村の出身者もいたとのことです。
あるいは誰とも特定できない「首」とはさらに
大震災で虐殺された朝鮮人たちを含む
国家や群衆の狂気の「斧」で殺されたすべての死者たちの
死ねないまま蠢き続ける魂そのものなのではないでしょうか。
死に誘ふものは分らない
くぢけてしまつた道路の間に
首がころがつて笑つてゐる
裂かれた肉体がはなれて笑つてゐる
破裂した心臓が
ねぢれた儘 動かない
干からびた苦い血を嘗めて
友よ!
????生きて 生きて…………………
両手をひろげて
その首にかぢりついて
接吻する
血と砂とにむせて乾きついた儘
私は
固く
????哭く
その肉体に
????血をそゝぎ
????血で洗はふ!
砕けてしまつた市街の上に
彼と我との意思は
蒼ざめて発光する
ころがつてゐる首
焼け残つた白骨
残つた生存は
誰にこれからを捧げやうか
干からびた血と血を嘗めて
友よ!