なんだか久しぶりのブログです(_ _)。
色々書きたいことはあったのですが、
冬から春にかけての陽気の変化も作用してか
やや精神が弛緩し、機を逸した出来事がたくさん。
出来事から受けた感情や感覚が平板化しないうちに
書きとめなくてはいけませんね。
さて今日は3月13日に京都地裁で行われた
在特会による京都朝鮮初級学校への襲撃事件裁判について。
もう第17回公判になります。
この裁判はほぼ毎回傍聴しているのですが、
いつも異なる側面から事件の真相に生々しく迫っていきます。
実際裁判に立ち会うと
万の言葉よりも分かることがあるんだなあと実感します。
語られる内容や説明からだけでなく、
被告や原告の姿や声、そして息をこらす傍聴人たちの熱気から
ダイレクトに分かってくるものがあり、
真実とは事実よりも深いものだと実感します。
今回はオモニ会の会長さんである女性が証言に立ちました。
あの日に何が起こったか、その戦慄と共にあるリアリティを
彼女の言葉はまざまざと伝えてくれました。
私がこの事件について知ったのも
事件直後に『ヒロシマ・ピョンヤン』という映画の上映会で
このオモニが訴えたのを聞いたのが始まりでした。
(なおこの経緯について触れたブログ記事は次にあります→ http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/02/post-2144.html)
あの時もこのオモニがチマ・チョゴリを着て、
涙を目に一杯浮かべて必死で訴えていた姿から
私は「何か大変なことが起こっている」と一瞬で知らされました。
今回の裁判でも
オモニが、恐怖の日々を思い出す辛さに耐えながら
沈黙からためらいがちに選ぶ言葉の一つ一つが
声のかすかなふるえと共に
まさに真実の言葉として
私の胸をつらぬいていきました。
真実とは客観的現実ではなく
内面の揺れ動きそのものだと痛感しました。
話の内容は詳しくは書きませんが、
事件の連絡を受け車で駆けつけようとしたオモニの焦燥の場面では
私自身もまた身の内から震えを覚えていました。
堤防を行ったり来たりしていたこと。
寒くて窓を閉めていても、学校から怒号が聞こえてきて
「大変なことが起こっている」と思いながらどうにもならなかったこと。
子供が中にいると思っただけで、頭が真っ白になったこと。
認識が甘かったという苦い後悔に一人で耐えていたこと・・
そして事件の後うちひしがれながら
辛い日々の連続を、恣意的な暴力者によって背負わされていた─
事件当日の恐怖、そしてその後警備に奔走し、恐怖を感じ続けた日々のつらさ。
思い出しながら涙を必死でこらえる人の背中が語るもの。
沈黙の重さが私の心にものしかかってきました。
本当に申し訳ないと思いました。
日本社会全体が負うべき闇を、少数の人々にこれほどまでに背負わせてしまっていたことに。
在特会側の弁護士が誘導するように
朝鮮学校を北朝鮮という日本が敵視する国家と同一視するのは
全く卑怯なことだと思います。
そこにいるのはただ日々を大切に生きようと望む人間であって国家ではないのです。
何を言っても傷つかない強者などであるわけがないのです。
そのような市井の片隅に日本全体の闇を背負わせていることを
社会は知らなくてはならないはずです(いえ、よく知っているはずですが、よく知っているのに、というそのことを)。
オモニ自身、朝鮮学校の出身です。
幼い頃「朝鮮人」という言葉が悪い言葉として使われることがある、と
知らされた。
しかし朝鮮学校に入り
先生が黒板に「朝鮮」という文字を書き、
朝が鮮やかな国、と教えてくれた。
その言葉をかみしめて、歌を歌った。
朝鮮人であることは恥ずかしくないのだ、という自尊心は
朝鮮学校へ行かなかったら得られなかった─
オモニの言葉に
私にもその「朝」が見えてくるようでした。
私は、多くの人にもっと朝鮮学校に近づいてほしいと思います。
生徒や先生やオモニやアボジに会ってほしい。
そこにいるのはごく平凡な人たちです。
市井に生きる誰しもと同じように
日々が平穏に続くことを願い、かけがえのないものを守るために生きる人々です。
そしてその持ち物が少ないだけに
その思いは強いということも知ってほしいのです。