単独者として花であること―詩獣たち『闇より黒い光のうたを』河津聖恵
中村純(詩人)
「詩には、人知れず被った暴力によって傷ついた者たちの呻きがひそむ」。時代が、いのちを押しつぶすものであればこそ、詩で生き延びる希望をつないだ痛々しい詩獣たち。尹東柱、ツェラン、寺山修司、ロルカ、リルケ、石原吉郎、立原道造、ボードレール、ランボー、金子みすゞ、石川啄木、宮沢賢治、小林多喜二、原民喜という、十五人の詩獣=危機を感知し乗り越えるために、根源的な共鳴(うた)の次元で他者を求め、新たな共同性の匂いを嗅ぎ分ける獣―の尊厳と、単独者として花であり続けるあらがいの希望が、本書から立ち上ります。
魂はなぜ苦しむのか。そして、どう結晶するのか。「尊厳」のため、です。京都にきてから、痛みに満ちた硬質なこのことばは、幾度となく、私の中のあらがいとして日常の中に立ち上がってきました。東日本大震災と原発事故、その後の急速な右傾化。無名の大量な死と棄民に名を取り戻し、花として詩獣として、抵抗すること。 虐殺者や略奪者は責任を逃れ、衆愚のひとりに消えたとしても、歴史を書き換えて名誉を得たとしても、尊厳と生の真実と根源的な信頼―リスペクトを失います。 屠られても、単独者として詩獣であり花であり続けるあらがいには、真実が残ります。詩人としての無償の仕事の意味は、ここにあると思います。京都で、朝鮮学校の無償化除外と、ヘイトスピーチという同時代性にあらがい生きた河津さんが、この四年間をどう生きてこられたか。同時代に、とても近くにいらした河津さんの本書に「尊厳」ということばで共鳴しました。十五人の詩獣と河津さんは、尊厳で結びあっている。私もまた、連なりたいと願います。詩獣は、闇の中からしか見えない傷みを照射し、いのちを悼んでいる。時代が荒々しく波打ち暴走していく中で、見えないものを感受し、孤立した魂同士が共鳴し、単独者として花であることで「あらがい」、外部をおしかえして咲き続けます。