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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

【「闇より黒い光のうたを」書評】須藤岳史「獣性の痕跡、その先に」(「望星」6月号)

「望星」6月号(東海大学出版部)で、須藤岳史さんによる拙著『闇より黒い光のうたを』の書評が掲載されました。須藤さんのご了解を得ましたので、以下にアップいたします。

獣性の痕跡、その先に

                         須藤岳史

 本書は詩人による詩人論である。著者は伊東柱、ツェランリルケ石原吉郎中原中也宮沢賢治原民喜らをはじめとする十五人の詩人を取り上げ、彼らの生きた時代、そして運命に翻弄された生き様に寄り添いつつ、その爪痕を検証し、人間の持つ詩への根源的な希求、そして言葉の力を見出そうと試みる。

 著者は彼らを「詩獣」と呼ぶ。「うた」とは「本能的な危機意識に関わるもの」で、すぐれた詩人とは「その危機を感知し乗り越えるために、根源的な共鳴の次元で他者を求め、新たな共同性の匂いを嗅ぎ分ける獣」、また「獣性を顕在させ、人間の自由の可能性を身を挺し示すものである」と言う。詩獣たちは傷つきながらも、この世とは別の次元での輝きを言葉のうちに求めたものたちである。著者は詩人の内部に潜む獣性に焦点を当て、彼らの残した痕跡を辿る。

 プロローグで語られる、ある言葉の連なりが詩へと位相を変えていく様子、つまり「詩が立ち上がる」瞬間の詩的な描写はとても印象的である。「読むものと言葉のどちらが変化」したのかは定かではないが、「鎮まっていた紙面に身じろぎの予感」が生まれ、言葉の連なりより声が滲み出す。そしてその言葉は「私たちを絶対的な彼方へと呼ぶ」という。ここに著者は、読まれることにより生命を獲得した言葉が蠢きだすさまをありありと眼にし、その叫びを聞いている。

 井筒俊彦の主著の一つ『神秘哲学』に「神秘主義にかんするかぎり、徹底的に主観的であることこそ、かえって真に客観的である」、「いわゆる客観的態度はここでは何ものをも齎すことができない」という一節がある。ある種の対象は客観的な観察を拒む。なぜなら外から観察をすると、その生命は散逸し、死した形骸しか残らないからだと井筒は言う。

 詩もまた同じで、客観的な観察は詩に近づくどころか、その内部に宿る生命を脅かしてしまう場合がある。だから詩のなかへと自らが入っていく手法が有効となる。著者は、詩人論とは彼らの生涯よりも「現実には見えにくく歴史化されない無償の情熱」である「詩への思い」を中心とするものだと言う。そのためには書き手自身の「詩とは何か」という主観的な思考が必要となるため、執筆者自身を巻き込んでしまうという原理的な難しさが生じてしまうとも指摘する。これは井筒の神秘主義研究に関する態度と呼応する。著者は生身で詩獣とその詩に近づこうと試みる。そして自らも詩獣と化し、時空を行き来する。その道程での発見や葛藤に追従しているうちに、詩獣、詩獣と化した著者、読者自身の詩魂の影が重なりはじめ、人間が持つ、個を超えた根源的な獣性の輪郭が次第に浮かび上がってくる。そして、その先に見えるのは闇よりも黒き深淵にすら存在し輝きを放つ「希望」である。

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