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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2018年1月29日付「しんぶん赤旗」文化欄・「詩壇」

  日本の戦後詩は1947年、詩誌『荒地』創刊から始まる。昨年は70年目に当たったが、詩の世界に戦後詩を振り返る動きがほとんど見られなかった。なぜだろう。
 同じく敗戦の荒廃から出発しつつ、『荒地』は詩人の流派として主にモダニズムの姿勢で書き、もう一方の雄『列島』は運動体として民衆と結びつき、プロレタリア的手法を取った。今詩を書く者が両者について考えることは、決して無意味ではない。70年後も戦後の矛盾と精神的な荒地は続いているのだから。
 だが現代詩の一隅に変化は見えている。現在の荒地がもたらす痛みから、もがきつつうたう若い詩人達の登場だ。彼らは人間を分断させ疲労させ続けた「失われた二十年」による社会の荒廃を、幻視(ヴィジョン)としてつかみ表現する。書くことは彼らが生き抜くことそのものだ。
 佐々木漣(れん)『モンタージュ』(私家版)は、自己同一性の不安、愛の欠如、死への親近といった人間の危機を、鋭い逆説と不穏な詩性で描き出す。詩「あらゆる命と戦場にいた」は、止めどなく不可視の戦場と化す社会の真相を突きつける。
「塊が熱い熱いと喚きながら/粗大ゴミのようにコンテナに乗せられ送られていく/あの断崖の先に、落ちるでもなく、飛ぶでもなく/幻の線路を走り、現出した新たな戦場へ呼ばれてく/あの国では、死者の多さこそが豊かさの象徴なのだ/やがて見えてくる、彼の地/あれをイマジンと呼ぶのです/訳してください//暗い虹が見える信仰のない0日目/あらゆる命と戦場にいた/皆、震えていた」(末尾部分)
 佐々木は30代。橋本シオンや魚野真美といった20代の詩人も現れた。生きるための新たな詩が、胎動している。