昨日「ふくい詩祭2018」に行き、シンポジウム「荒地の詩人、鮎川信夫を現代(いま)に問う」にパネラーとして参加しました。
批評家樋口良澄さんの基調講演のあと、金田久璋氏の司会のもと、正津勉氏、細見和之氏と私が、会場の樋口氏と時折対話しながら、ディスカッションしました。
最初金田さんから依頼された時、日本の戦後詩の大重鎮・鮎川を意識的に無意識的に敬遠してきた自分で大丈夫か?と当初ややひるんでいましたが、大変意外なことにとても楽しいひとときとなりました。
事前に樋口さんの著書『鮎川信夫、橋上の詩学』を読み、次第に鮎川の戦後の絶望感が自分の問題意識を包み込んで来る気がして来ていました。さらに当日の皆さんの話の熱気に加え、鮎川が「戦中手記」を療養所の病棟で書いた地であり、また彼の父母の故郷でもある福井で、土地の人として読み解かれていくのに蒙を啓かれっぱなしでした。
生前の鮎川と深く付き合った方々から思いもかけない人間臭いエピソードを明かされたり、次第に自分とも共通点のありそうな等身大の鮎川信夫像が私の中にたちあらわれ、壇上にいながらワクワクして来ました。
とくに鮎川の母親と同じ大野市出身の正津勉さんの話は、詩人のリアリティを愛情をもって立ち上げてくれました。さらに最後、会場にいらしていた鮎川のいとこさんが挨拶されたのですが、まさに写真で見た詩人を彷彿させるお顔と雰囲気で、詩人が聞いていたような錯覚さえ 覚えました。
鮎川信夫という詩人は、敗戦後の絶望を「荒地」という言葉の輝きを知る者たちで照らしあって生きようとした。仲間を集め、「無名にして共同なる」詩世界を拓こうとした。その思いは今生かされるはず。1986年に亡くなった鮎川の冷戦後は存在しませんが、今生きていたとしたら? 原発やナショナリズムに対して何を思い、どんな言葉を私たちに放つだろう? そんな鮎川の現代的活用法」へのヒントも語り合われたと思います。
今後出される会報に詳細が載る予定です。
現代詩のアイデンティティとしての「荒地」に立ち返り、鮎川やその他の戦後詩人に問いかけてみること。それがこれからの詩の行方に大きな糧を与えてくれるにちがいありません。