金里博さんへ贈りたい言葉がありました。
「ひとりであっても状況を切り開いていこうとする厳しい闘いを、他の者もまた別の場で闘っていると実感できるとするなら、そのとき、たったひとりでの闘いは、決して孤独ではなくなる。そして、たったひとりでの闘いを、さまざまな場で・さまざまな形で、多くの者が闘うのならば、その〈抵抗〉を〈文化〉と呼ぶことができるのではないか。(中略)魯迅は「希望」について、「それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道がない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好訳)と語った。〈文化〉も、『地上の道のようなもの』なのだろう。もともとどこかに確固としたものがあるのではなく、そのように歩む人が多くなったとき、それを〈文化〉と名指すことが、あくまでも事後的に、可能となるのだ。いまたったひとりで闘う覚悟を持ち、過去の多くの〈抵抗〉をあとづけるとともに、ひとりでも多くの人々に呼びかけ、〈抵抗としての文化/文化としての抵抗〉を創造していくこと。」
「前夜」という雑誌の、創刊号(2004)巻頭にある高和政(コウ・ファジョン)さんの言葉。
当日、里博さんの前には、たった一人で道をきりひらくべく、街路が白くさむくひろがっているはず。
一歩一歩、道を一人で創るんですね。
そしてどこかで同じようにたったひとりで闘う・闘ってきた・闘うであろう人々の
悲しみと歓びが
里博さんの抵抗の孤独に寄り添い、背中を押すはず。
それが魯迅の言う「希望」であり
ここでいう「抵抗としての文化/文化としての抵抗」の力であると思います。