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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ピョン・ジェス(卞宰洙)講演「安重根と石川啄木」

昨日、大阪・ドーンセンターにて
文芸評論家ピョン・ジェス(卞宰洙)先生による講演「安重根石川啄木」が行われました。

ピョン先生は、2007年に文藝春秋に載った「プロメテウス」という私の詩を、2009年に、当時朝鮮新報に連載していた「朝鮮と日本の詩人」というシリーズの第87回で取りあげてくれました。そのことを友人を介して知り、お会いしてお話しするようになりました。ちなみにその「プロメテウス」という詩は、植民地時代に日本に留学して、結局はハングルで詩を書いたかどで逮捕され、解放直前に殺されたユン・ドンジュ(尹東柱)に捧げる短い詩で、よくこんな小さな作品を掲載されてから2年も経って、詩の専門雑誌ではない雑誌から見つけてくださったなと、今思い返しても不思議に思います。東柱が引き合わせてくれたのではないでしょうか。

さて、講演は大変刺激的なものでした。

石川啄木は日本の一般的な詩歌の歴史記述では、天才歌人という側面が強調され、その社会性の本当の鋭さ、とりわけ朝鮮との関わりがなかなか見えてくることがなかった。でも今回のピョン先生の視点は、伊藤博文を「暗殺」(しかし実際は、安は義兵を率いていた中将だったので、国際法では戦争の定義に当てはまるので「暗殺」とはいえない)した安重根という存在を切り口に、私にとって、啄木の姿を歌人として社会主義者としてより全体的なものにしてくれた気がします。

ピョン先生の語り口は、とても明確で、声に張りが、話の流れにリズムがあり、すべての言葉がストレートに入ってきました。何よりもそれは、啄木と安に対する敬愛の念が深いからです。とくに啄木について日本人はもっと知って誇りに思ってほしいと訴えられました。在日コリアンの文学者であるピョン先生の感受性のただ中からそう言われ、日本の詩人である私も、心がつよく揺すられました。そしてふいに啄木という存在がいのちをもって、私の中に立ちあがってくるようでした。

砂山の砂に腹ばい
初恋の
いたみを遠くおもい出ずる日

講演の始めの方で、ピョン先生はこの歌を歌曲にしたCDを流してくれました。とても美しい心に染み入る歌でした。

しかし「明星」の浪漫主義から出発したこのような抒情歌人・詩人である啄木はまた、閉塞した日本の時代状況の中で「国禁の書」を読み、「V NAROD! と叫び出るもの」を願う社会主義者でもありました。この観点はなかなか日本では一般的には深くは知られてこなかったのではないでしょうか。

地図の上
朝鮮国にくろぐろと
墨をぬりつつ秋風を聴く

この歌が書かれたのは「日韓併合」が発表された1910年8月29日から数えてたった11日後です。「この反応の早さから啄木が心の奥底から朝鮮の植民地化に反対していたことがわかる」のです。

当時の世界地図は、日本、朝鮮半島、台湾は赤。満州はピンクだったそうです。「日韓併合」を伝える新聞は、朝鮮地図を真っ赤に色塗りして報道しました。啄木はそれを墨でくろぐろと塗りつぶしました。植民地化に対し、そのような歌による抵抗を示したわけです。このような歌をうたうには、当時、どれだけの勇気と覚悟が要ったかと思えば、その意志が分かります。

われは知る テロリストの
かなしき かなしき心を

という詩「ココアのひと匙」の一節に出てくる「テロリスト」を、安重根だとするピョン先生の推論は、歴史的な事実にもとづいていて説得力がありました。

結局啄木は悲惨な死を遂げます。時代の暗黒におしつぶされるように。死の床には半分ほど飲みかけの強壮剤ひと壜があったそうです。そんな効きもしないものにすがりつくようにしながら、若山牧水夫婦などわずかな人々に看取られて亡くなったのです。

中野重治は「啄木の最後の批判が天皇制国家でなければ、これほど悲惨な殺され方をしなかったろう。国家は薄緑色をした何かの幼虫ほどに指先でこすり殺すように啄木を殺した」と書いたそうです。

講演の終わりにピョン先生が聴衆(半分以上が日本人)に訴えかけるようにこう言われたのが、本当に本当に心に突き刺さるようでした。

「啄木のような歌人を生みだした日本人はりっぱです。ただ為政者との闘いで敗北したのです。日本人はこのような悲惨な啄木の死について泣かなければならない。冥福を祈ってほしい。そして現在の日本と朝鮮の関係もぜひ啄木の観点からみてほしい」

一生忘れない言葉です。

そうです。昨今メデイアでくるったように煽られる朝鮮に対する敵視政策の闇に対し、日本人もまた啄木の鋭い歌の精神で、啄木の血を引き継ぐ者として、光を射し込まなくてはなりません。