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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『自然と兆候/4つの詩から』(監督:岩崎孝正)が山形国際ドキュンメンタリー映画祭で10月10日に上映されます

インタビューと詩の朗読によるドキュメンタリー、

『自然と兆候/4つの詩から』(監督:岩崎孝正/2015/50分)

山形国際ドキュメンタリー映画祭

「ともにある Cinema with Us 2015」部門で上映されます。

内容は、いま福島の風景を撮影している写真家北海道在住の露口啓二さん、韓国の鄭周河(チョン・ジュハ)さん、 映画監督(『いのちの食べかた』で知られる)ニコラウス・ゲイハルターさんたちの福島での撮影の様子やインタビューの合間に、作家と詩人が登場し、朗読するというものです。

朗読の出演は、作家の徐京植さん、詩人の若松丈太郎さん(テクストのみ参加。朗読は朗読家による)、そして私です。私は詩「夏の花」(『奪われた野にも春は来るか』(高文研)所収)を朗読しています。3月に広島の原爆ドームの前や周辺で撮影しました。

原発禍が時とともに忘れられていく感を否めない現在の状況のただなかで

大変意義のある映画だと思います。

この映画に存在する複数のまなざしと語りと詩の言葉を通し、

多くの人が原発問題を新たな次元で想起してほしいと切に願います。

日時は10月10日(土)12:40-13:30(終了後質疑応答あり)、会場は山形美術館1です。

URLはこちらです。

「現代詩手帖」10月号に詩「花世の島」が掲載されました

7月に訪れた沖縄の各地で感じ取った、岡部伊都子さんの面影からイメージを借りました。

もちろん現実の岡部さんの姿から作品として想像をふくらませたものです。

詩に出てくる「月桃花」は岡部さんが愛した花。

安保法案可決が迫る中で書いた、私なりの反戦詩です。

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賢治祭の夜

未明に安保法案が可決した19日夜、

「賢治祭2015」が

詩人の高橋秀夫さんのお店

「つづきの村」(奈良市学園町)で行われ、

私も講演者として参加しました。

私は『闇より黒い光のうたを―十五人の詩獣たち』で詩獣の一人として、

宮沢賢治を取り上げましたが、

高橋さんはその論に注目して下さり、誘ってくれたのでした。

高橋さんとは6月に小樽の白鳥番屋での朗読会で知り合いました。

「つづきの村」は今回初めて伺いましたが、

とてもステキな、隠れ家のような空間です。

賢治の命日は9月21日ですが、

ちょっと早めの「偲ぶ会」でした。

お店の前で夜空を見上げると月が美しく、

まさに賢治の世界をほうふつさせました。

何を語ろうか迷っていましたが、

国会前の闇がずっと胸にわだかまっていて、

そこから語るしかありませんでした。

あるいは国会前にいた時にも

この日の講演について心のどこかで考えていて、

「もし賢治が今この時代を生きていたら、ここに来るだろうか」

という自問自答をしていました。

そして何となく答えが見えてきたところでした。

「つづきの村」の柔らかな光に包まれながら

少人数の方々の前で語ったことは

アドリブでかなり話が込み入ってしまいましたが

かいつまめば次のようでした。

賢治の魂を圧していた闇は、今の私たちには測り知れない深さと重さだった。

その闇にあらがう方途として、賢治は政治ではなく宗教を選んだ。

賢治の「非政治性」は治安維持法下でさらに濃くなっていく。

それは唯一の友保阪嘉内への恋文にも似た手紙から読み取ることができる。

(菅原千恵子『宮沢賢治の青春』を参照しつつ)

左傾化する嘉内を引き留めようとして、むしろ宗教へのめり込んでいった賢治。

そして別れが訪れ、その痛みが賢治の詩性を、闇を輝かせていく―

そんなことを語りました。

そしてひととおり語り終えたあと、

「国会前に来ているだろうか」と自問し、

「来ているだろう」と答えることで、結末としました。

かなり乱暴な想像ですが、

一人ひっそりデクノボーとして植え込みの陰から

嘉内の生まれ変わりのような人々を

奇跡のように見つめているのではないかと。

その内面までは想像が及びませんが、

詩人は今最も闇の深いあの国会前のどこかに佇んでいる気が、私にはするのです。

賢治祭は他に

中村ともみさんの星めぐりの歌の美しいピアノ弾き語り、

「よたかの星」の圧倒的な朗読シアター

(高橋さんとでみせあつこさんによる朗読と、インド打楽器と

飯田あやさんのよたかの舞いと、書家さんの即興の書のコラボ)

と素晴らしい時間が繰り広げられ、夜は更けていきました。

高橋さんはフェイスブックでこの夜の記事に、

「僕たちには自由な夜がある。

必ずや。」

という言葉を添えていましたが、

「自由」とは、ともに創りだしひととき共有するものなのだ、と

この夜はたしかに教えてくれました。

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安保法案可決の朝

安保法案は

国会前に行った翌々日の19日未明に可決してしまいました。

京都に戻って私も最後までTVを見ていました。

その瞬間の失望感は、いいがたいものでした。

それは私だけのものでなく、

憲法が守られ、平和への思いが守られることを願いつづけた無数の人々の心を

一瞬で伝播した亀裂だったのでしょう。

ツイッターのタイムラインには

悲鳴のような言葉が並びました。

本当にとんでもないことになったと心が真っ暗になりました。

平和のための戦争なんてありえない。

戦争は戦争であり、

「戦争が可能な国」になったということは、「文化が不可能な国」になったということです。

この先この国はどうなっていくのでしょうか。

今でさえ弱い立場の人々はますます追いつめられていくのではないでしょうか。

私は今の自民党公明党の考えていることが全く分かりません。

あるいはもしかしたら

かれら自身も自分が何を考えているのか分からないのではないでしょうか。

自分の心をどこかにおいて、ただ保身に走っているだけではないでしょうか。

空虚の負のエネルギーに、言葉はただ記号として空回りしていくだけです。

そのようながらんどうの言葉によっては外交は進展しない。

アメリカにものをいうことも出来ない。

そしてそれを見越してか、

宗主国からはすでに次々と要求が来ています。

南スーダン南シナ海―。

このような憲法をうち捨てた自主性のない政治では

やがてほんとうに自衛隊はISと戦わせられてしまうのではないか―。

フランツ・カフカの『変身』という小説があります。

その冒頭部分は大変よく知られていますが、

安保法案の可決した朝、目が覚めて

あまりの体の重さに寝床でおのずと思い出されたのがその一節です。

“ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。”(山下肇訳)

この一節の意味が初めて読み解けた気がしました。

変身したのはザムザではなかったのです。

ザムザを取り巻く世界のほうだったのだと。

9月17日国会前に行きました

先週17日、連日国会前で行われている、

安保法制反対のデモに参加しました。

以前反原発のデモに参加したことはありましたが、

国会に行くのは二年ぶりくらいでしょうか。

採決直前ということもありかなりの混雑が予想されました。

一人で行くと迷子になってしまいそうな心配があったので、

フェイスブックで参加する旨を記していた作家の黄英治さんに連絡をしたところ、

一緒に行ってもらえることになりました。

夕方霞ヶ関駅で落ち合うことにしました。

四谷で霞ヶ関に向かう地下鉄に乗り込むと

少し違和感を覚えました。

京都に住んでいてTVでだけデモの様子を見ていた私は、

今日辺りは地下鉄に乗れば車内にはプラカードを持った人がたくさんいて、

デモの空気が立ちこめているだろうと想像していたのです。

しかし空いた車内には背広を着た勤め帰りの会社員たちが

一人一人黙って座っているだけ。

この先で激しいデモが行われていることなどとても思えない

乾いた空気に寂しさのようなものを覚えました。

しかし霞ヶ関で降りると、ホームにはもうプラカードを抱えた人々で混み合っています。

各車両には多くのデモ参加者がいたのでしょう。

私が気づかなかっただけで私が乗っていた車両にもいたのです。

行き過ぎる会社員たちにプラカードを掲げて見せる人もいました。

改札口近くで

「九条こわすな」「戦争法案反対」と書かれたプラカードを配っていたので、

一枚もらいました。

黄さんもすでに来ていて、水色の雨合羽を着ています。

外は雨です。

私も透明な合羽を着込みました。

ツイッターで「傘は危ないので止めるように」という情報を目にして

今朝あわてて買い求めたものです。

階段をのぼり地上に出ると、

まるで別世界に思えました。

青い警察車両の壁のまえにずらりと警察官が並んでいます。

まさに非日常であり、私の中での戒厳令のイメージにも近い。

雨の中、どこか怒気を含んだ声で

「こちらへお願いします」と警官たちは人々を誘導していきます。

人はさらに多くなり

私は黄さんの水色だけを頼りについていきました。

やがて左手に国会議事堂が現れました。

LEDにライトアップされているのか、

議事堂の姿は、TVで見るよりもずっと冷酷で硬質な感じ。

そしてこちらはうち捨てられたように暗い。

植え込みに入れば真っ暗がりです。

18時半から始まる集会が行われるステージへ近づくにつれて

人々の数は増し

足下が見えなくなってきたので、

私は買ってきたペンライトを取り出して黄さんに渡しました。

ツイッターで「光の粒になる」という表現をよく見かけますが、

その「光の粒」グッズとして、百均で入手したものです。

あの13万人が集まった夜の国会前の空撮の美しさを

演出したのはこうした小道具でした。

周囲を見れば

今夜もたくさんの人々が色とりどりのペンライトを手にしています。

しかしあまりにも人の数が多く、

息苦しいくらいになりました。

雨もつよまってきました。

すでに「アベはやめろ」「憲法こわすな」のコールも始まっています。

国会周辺のいくつもの場所に設置してあるスピーカーが

ついに集会の開始を告げました。

ステージはすぐ近くなのですが人の頭がぎっしりで見えません。

辻元清美さんや福島みずほさんや室井祐月さんらが登壇しました。

安保法案反対の意思表示がされるたびに喝采をあび

ペンライトがいっせいに振られます。

私もいつしか心が高まり唱和していました。

そして憲法学者樋口陽一さんが登壇しました。

前にいた黄さんが位置を譲ってくれました。

それでもほとんど見えませんでしたが、

樋口さんの後ろ姿を何度か捉えることが出来ました。

平和憲法が危険にさらされていると実感した数年前に

私は樋口さんの『日本国憲法は時代遅れか』という著書をよみました。

とても分かりやすい本で、

自民党が唱える憲法改正がいかに理不尽なものかを、

私なりに納得することが出来ました。

その後の新聞などでのご発言にも大変共感し、

その知識と良心に感銘を受けてきました。

その樋口さんが雨に打たれながら、

ご高齢にもかかわらず必死で訴えています。

胸がしめつけられる思いがしました。

「社会のコンスティチューションが壊されようとしているのです!」

樋口さんははりつめた声で訴えました。

そう憲法とは

社会の骨格を作り上げるもの。

私もまたその同じ思いをずっと抱いてきたのだと思います。

その骨格のゆらぎを

この安保法案が問題化するずっと以前から感じていたのだと。

いつだったか分からないほどぼんやりと、いつからか―。

やがて朝鮮学校への襲撃事件や無償化除外という問題をつきつけられ

この社会の崩壊を身で感じ取ったのです。

雨がいつしか小やみになりました。

夜の深まりと共にデモは激しさを増す気配です。

黄さんと私は少し話もありましたので

心残りでしたがデモ隊を離れ、

地下鉄に乗り

ふたたび一見デモとは無縁なネオンの眩しい街へ出て行きました。

少しの間のデモ参加でしたが、

来て見なくては分からなかったことがたくさんありました。

何よりもあの国会の姿の冷厳さと

デモ隊のいる闇の深さの対比。

私の五感は事態の深刻さをふかく感じ取りました。

なぜこれほどの人々が集まってくるのかが、

理屈抜きで分かった気がしました。

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9月15日付京都新聞掲載「詩歌の本棚・新刊評」

  大阪の季刊詩誌『びーぐる』28号が、「石原吉郎と戦後詩の未来」と題した特集を組んでいる。石原は今年生誕百年を迎えた。戦後約八年間シベリアに抑留され、帰還後詩を書くことで極限体験と向き合った詩人である。同誌で一色真理氏は、3.11後の日本で今最も読まれているのは石原とツェランだとし、その理由をこう推測する。「大震災と原発事故後の閉塞した社会で、すべての言葉や行為から意味が失われ、虚しいと感じられたとき、理解を拒むほどに堅固で、不条理なほどに美しい詩人の言葉にこそ、世界に意味を回復できる力があると感じられたからではないか」。

『現代詩文庫 三井葉子詩集』(思潮社)は、昨年一月に七八歳で逝去した詩人のアンソロジー。大阪の言葉と情感の中で生まれ育った詩人の詩は、複雑な家庭環境だった幼年期の悲しみが終生存在した。だが晩年の大阪弁の詩は、リズムと音韻が明るさを呼び込み、不思議な魅力を醸している。詩人は石原吉郎とも交流があった。詩「秋の湯―石原吉郎のてがみ」とエッセイ「石原吉郎へ―遅れた手紙のうち」は、石原の私信の一部を引く。石原への追悼詩である「秋の湯」の末尾部分―。

「秋の昼。わたしは片あしを湯で探りながらさざ波立つ波をみています。石原吉郎がしずかにしずんだのかもしれない葡萄いろの湯――にあしを入れながら。//この秋のひかりのような繊い。生きていたころの石原吉郎のてがみを――まだ、生きているわたしの肌身に浴びているのです。そんなにも繊かったことばを思い。わたしはわたしの粗さを恥じています。粗野がこのように繊いものを生むために粗くうねっていたのかもしれない湯を。打ち返し。おんなの粗(あら)む性(さが)を恥じているのです。/しずかな秋の湯。」

 岩堀純子『水の旋律』(編集工房ノア)は、前作『水の感触』以後の二年間に生まれた作品を編む。両詩集は「三年という短い間」に書かれ、「心的状態や状況など切り離せないもの」がある、いわば魂の連作である。作者は五感そのものとなり、自然の転変に身をさらすが、自然そのものにはなり切らず、むしろ深淵に見つめられる。だが「私でない、だれでもない私」「どこまでも、私のような私」が熱帯の生の輝きに圧倒され生まれた詩は、比類なく美しい。

「明けはじめた空を/切り裂く鳥の声/樹々のこずえが/オレンジ色に映えている/透ける暗闇の奥で/鬱蒼と繁る葉が/風に鳴る/すべてはまだ闇を纏い/濡れた重い呼気に/蔽われている//森の海原を/生きものの群れが/越えてゆく/過去から未来へ/はてなく連なる/うねる帯/めぐるいのちの/密かな連鎖/(…)/一羽のカカトゥアが/ひときわけたたましく啼く/いつのまにかわたしは/花の腐乱した匂いに満ちた/ざわめく朝の市場に来ている」(「熱帯の朝」) 

 秋野かよ子『細胞のつぶやき』(コールサック社)は、「風の匂いがきこえる」「光を嗅ぐ」「光が轟く」というようないわば共感覚的表現が、魅惑的だ。作者は福祉の現場で様々な障がい者と接してきたという。その体験が根源的な詩の力をもたらしたのか。

「家の人が植えてくれた/銀木犀/丸く大きな木になって/白い星粒が雲のように/咲いています/匂いをつたえることばがない/つつつつ………/金木犀と違うのです/この星の匂いではなさそうです/遠い 遠い星の香り//音でしょうか/体の芯のほうから響きます//夜は 東の星空を嗅いでください」(「星の匂い」)

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書評・濁流の中で出会った一枚の板―石川逸子『戦争と核と詩歌―ヒロシマ・ナガサキ・フクシマそしてヤスクニ』(スペース伽耶)(「思想運動」964号(2015.9.1)掲載)

 原発事故後この国は濁流に呑み込まれている。事故直後は社会は新しい共同体を目指し、原発を放棄する道を歩むのではないか、と淡い期待もあった。だが今やこの国はさらに方位を失い、戦前からの血の流れにさえ身を任せている。本書は濁流の中で私が出会った、まさに一枚の板だ。一日分の講義をまとめた120頁ほどの書物だが、つかまって流れにあらがうには十二分の内容だ。

 原発事故とその後の混乱と汚濁がよって来る源としてアジア太平洋戦争と原爆投下。その真実と経緯を、本書は分かりやすく、だが的確かつ本質的に語っていく。様々な事実が新たなリアリティの力で迫ってくる。そこには声がある。それは、詩と平和運動の双方を自身の生そのものとして生きてきた作者の声と、引用された詩から聞こえる、被爆と被曝の当事者である詩人たちの声々だ。

 引用された詩のすべては、多くの人に伝えたいという作者の深い思いのこもった文脈の中から、それぞれの詩人固有の痛みの声を突きつける。原民喜の「水ヲ下サイ」から聞こえる「オーオーオーオー」という声を、私は初めて聞き届けた気がする。声は詩の引用後に語られる、民喜が日本軍の香港侵攻の録音放送から聴き取ったという中国人女性の声と響き合う。声はさらに続く。峠三吉の地獄の情景を描く「八月六日」の「忘れえようか」、林幸子の「ヒロシマの空」の「お母ちゃんの骨は 口に入れると/さみしい味がする」、福田須磨子「ひとりごと」の「何も彼も いやになりました」、正田篠枝「川は生きている」の「世界大会が なんじゃっ」「俺の 心を 知りゃあ すまい」。組織や集団からはこぼれ落ちた、詩の耳だけが救いえた声々。さらに原発事故前に書かれた若松丈太郎「神隠しにされた街」のチェルノブイリの子どもの声、御庄博実「青い光」の、今年亡くなった被爆者でもあり医師でもあった詩人の、遺志の声―。

 的確にまとめられた年表を、本書と巻末の「再びその道を走るのか――安倍首相のヤスクニ参拝」の内容と照らし合わせ見ていけば、歴史の真実が滲むように見えてくる。そして2013年までの年表の先に今、再稼働と被災者の切り捨てという壁が立ち塞がる。詩人に何が出来るか。二十万の一人一人の「声の道」(ツェラン)をいかに創造できるか。私は本書につかまり、知恵と勇気を与えられながら濁流の中で模索していきたい。

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