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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2023年8月21日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 夏に入り、戦後詩を代表する「荒地派」の再読を始めた。戦死者への思いがこもる同派の隠喩はかつては難解だった。だが今は肌身に迫る。七十年ほど前の若き詩人たちの先鋭な危機感が、現在のぼんやりとした危機感を遥かに照らし出し、形を与えてくれるのだ。自分の詩意識もまた、戦争と向き合うための新たな表現を探っていたと知る。
 三尾和子『時間の岸辺』(本多企画)の作者は敗戦直後両親を亡くし、「疎開地の山峡の村に住むことを余儀なくされた」。そのときから作者の中を「一本の川が流れはじめる」。本書はその岸辺で出会った「懐かしい人々の声」に「促されてもの語ったもの」。全篇、時間と記憶の重さをむしろ詩の力とし、今も豊かな村の自然をモチーフに、死者と自己の声を重ね合わせるようにしめやかに幻想的に語ってゆく。反戦の意志をどこかにつよく滲ませて。
「暗雲が低く垂れ込めた天の一隅から、飛行機の爆音が微かに聞こえてくる。//目の前で、二枚のガラス戸が一瞬、交差する。稲光に曝された蝶の翅粉の細塵が目を射抜く。/すると、ガラス戸は左右に捲れた。/吸い込まれるようにわたしは、ガラス戸の向こうへ難なく入り込んだ。時は間延びした空間の在所のようだ。/そこには、すでに天涯へつづく、捻じれた帯のような螺旋階段が垂れ下がっていた。/ガラス張りの階段が、縮んだり伸びたりしている。/足下からは潮の匂いが、生暖かい風とともに噴き上がってくる。ざわざわと泡立ちもりあがってくる波。波、波。//黒く屹立する柱状節理の岩石の間隙を押し潰し、海水が螺旋階段を侵しはじめる。わたしは夢中で階段をかけあがった。/ようやく、階段を上りきったとき、急に緞張が降りて闇になった。//気がつくと、わたしは、庭先の朽ちた古竹に巻きついた雲南百薬の蔓の先に、病葉のようにはりついていた。/指のあいだに水かきができている。/疣状に隆起した背中に土色の引搔き傷が波の跡を留めていた。/(わたしは生きのびたらしい)/春風がわたしの背中を撫でていく。//爆音が急に近づいてきた。/建てつけのわるくなったガラス戸が震えている。/わたしは慌てて、ガラス戸にへばりついた。」(「土蛙」全文)
 秋野かよ子『歳時記』(文化企画アオサギ)にも現在の戦争への危機感がある。だが作者はあえて「何もない普通の日常」を描く。「いま、日常の力こそ大切なのだと思い、亡くなった友に向けて出版することにしました。日常の大切さとは『安定性』ではなく、人間が切り離されていくとき、一人ひとりが何か掴むものを持つこと、それは人間の生活防御の一つかもしれません。」(あとがき)本書に感じられる生命力の源は、戦後すぐに生まれた作者が幼年期に感受した平和な日常の力であり、平和に基づく人間の蘇生力であるだろう。
「戦後すぐに生まれたものは/狂うほど欲しかったものがある それは/砂糖でした/冷たく甘酸っぱい水でした/何もないのに/井戸水の冷たい砂糖水だけで/身体中の力がみなぎってくるのです/あしたは あの木へ登ろう//ゴム跳びの新しいものを友だちが忘れないだろうか/なんの遊具もない原っぱ遊びが/笑いに含まれ/分からない力が溜まり/夕日は/地面の向こうで限りなく輝いて/あしたを呼びながら/沈んでいたのです//ご飯はなにを食べたか分からないのに/夜は/ミルク色の天の川が夜空に流れていました/朝顔も毎年同じ色で咲きました//平和は/とうとうとゆっくりとした/管理されない時間なのです」(「戦後すぐ」全文)f:id:shikukan:20230821182504j:image