#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2023年11月20日付京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 今年は戦後を代表する詩人、田村隆一の生誕百年。田村の石礫(いしつぶて)のような物質的な言葉からは、今なお新鮮な反戦感情がまっすぐに立ち上がる。「わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立させよ」(「立棺」)。田村を始めとする戦後詩人たちの言葉の底には、内面化された戦争体験と、戦死者たちの怒りの声がある。それゆえ人類の歴史と文明の総体に、否定を突きつける強靭な詩性の輝きを放っている。
 森川雅美『疫病譚』(はるかぜ書房)の作者は、コロナ禍という危機に際し「詩人として何ができるのか考え、日本の疫病の歴史を調べ始めた」。そして「歴史の大文字の声に消された、無数の小さな声」を、「想像力を全開にして聞き取り言葉にすることから書き始めた」。古代から現在までの声を交差させた本詩集は、ウイルスの意識にまで想像を馳せた、長大な実験的叙事詩集だ。肉体と魂の尊厳が失われていく事態に慟哭する声々が、章立てのない詩の空間に、これでもかこれでもかと読経のように響き続ける。例えばコロナと化した死者の鋭い抗議は、前述の「立棺」の否定の命法と遥かに通底するようだ。
「私はコロナである/一つのコロナとしての/私の時間が落ちていく/私の手に触れるな/静かな手に触れるな/私の死んだ手に触れるな/静かじゃない私たちに/触れるんじゃない/私は私である/私は私の私である/私はコロナ/として自覚してある/許してください/許してください/私はコロナの目である/コロナの目としての私/は落ちていく/私たちの静かな/時間の中に/私の手/私の足/私の首/私はあなたを殺します/私はあなたに殺されます/私は殺していく/時間である/殺されていく/時間である」
   神尾和寿『巨人ノ星タチ』(思潮社)は、詩的コント集とでも言える斬新な一集。全18篇の詩は、それぞれさらに9章ずつの章立てとなっている。各詩にはタイトルが付されるが、それは確固としたテーマを意味するというより、詩全体をふわっと包む空気のようだ。ユーモラスなようでいて、著者固有の哀愁を帯びる言葉は、空無と貼り合わせとなっている。それはどんな暴力も可能にしながら、同時に暴力を限りなく無力化している。本詩集の根源には恐らく言葉には実体がないという哲学があり、それゆえ詩に登場する事物や人間は、たやすく別の存在へとひっくり返され、やがて世界は密かに静かに否定される。
「チュータがダマテン役満を上がる/イッテツが雀卓をひっくり返す/ミツルがヘアーをリキッドする/イッテツが雀卓をひっくり返す/ヒューマはアスファルトの道の上を走っている/アキコがとても熱いお茶をお盆にのせて運んでくる/イッテツが雀卓をひっくり返す/ホーサクが故郷で暮らす兄弟姉妹のことを自慢する/イッテツが雀卓をひっくり返す/ヒューマは鉄の下駄を脱ぎ捨てて裸足で走っている/シンゾーが寝言を並べる/イッテツが国会議事堂をひっくり返す/シェークスピアがたったの十秒で起承を転結させる/イッテツが日生劇場をひっくり返す/ヒューマは都会の夜明けを走っている/オンナは男になる/イッテツがひっくり返そうかどうか思案しはじめる/盗んだ手紙を/返そうかどうか/ヒューマは足を止めた/星の命は一億年/長い寿命だが 限りはある」(「巨人ノ星タチ」1、全文)