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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

野田正彰『虜囚の記憶』(三)

「日本人は分らない。片手に剣、片手にサクラ、仏様、神様を持っている。暴力とやさしさ、両面を持っている。どうして?」

この本に出てくる一人の被害者はこう問いかけます。
 
匿ってくれ、助けてくれた日本人もいた。
しかし一方で、他者に対し、残虐を極めつくした人々もまた、同じ日本人だった。

私自身もこの「裂け目」を感じることがあります。
とりわけ朝鮮学校の除外問題に関わりはじめてからは。

ネットやメールでの匿名の誹謗中傷にはとてもいやな思いをしましたし、
人を人とも思わない残酷な言葉をあからさまにあびせる人々ばかりだ、
と確信しかけたりもしました。

しかしもちろん、私の周囲の人々は、みな素晴らしい人々ばかりです。

つまり個人の人格が分裂しているのではない、
この共同体自体の人格が分裂している、といいたいのです。

「父母とその世代に、祖父母とその世代に、あなたたちは何をしていたのか、どう思っていたのか、何も感じることはなかったのか、問うていない。ひいては、自分たちを育てた上の世代の人間性、対人関係のあり方、文化がどのように自分たちに継承されているのか、自らの人格の基底にいかにつながっているのか、問うていない

この問いかけは
被害者の側からつねに発せられているでしょう。
この問いかけに応えることは
この社会の思いがけない成長をもたらすものであるはずです。
なのに多くの人々は耳を貸そうとしない。

日本社会という共同体は
けっして「悪人」ではなく、むしろとても優しい。
しかしそれは他者からの問いかけに鍛えられてきた優しさではないから
温存されてきたみずからの攻撃性には
たえられるものではなく、もろいのです。

だから昨今
排外主義者たちのサディスティックな攻撃性が
社会の血のごとくふきだしてきたのではないでしょうか?
私は差別的な言葉を公然と叫ぶ人々の表情が
あまりに嗜虐的であるのに慄然とします。

「私は鹿島職員の残虐な言動について考えていると、彼らの心理が今日の日本人の攻撃性、癒しの心に忍ばせた攻撃性に、続いているように思えてくる。彼らの社会的性格は、蜂起後の労工を罵り殺していった花岡地域住民のものでもあった。そして攻撃の対象を変え、攻撃の言動の形式を変え、戦後の日本人に受け継がれてきたものではないか。」

「私が何をしたっていうの?」
ではなく
「「日本社会という私」は何をしてきたのだろうか?」
と自問することが、今とても必要なのだと思います。