このところ、色々大切なことがありながら
気ぜわしくなかなかこまめに文章に出来ないでいました。
タイムラグをお許し下さい。
一週間程前になりますが
12月18日に、このブログでも以前告知した
「第三回尹東柱を読む会」
が東大阪市の喫茶美術館で行われました。
今回ゲストは
やはりこのブログで紹介した『戦争と戦後を生きる』の著者である
歴史学者の大門正克さんです。
「尹東柱の生きた時代と詩」というタイトルで
詩人が生きた時代の植民地政策が
朝鮮語で詩を書く者としての東柱をいかに追いつめていったかを
語っていただきました。
さすが歴史学者としての蓄積にもとづいての言葉の力はちがいました。
何よりも人にものを教えている経験からの語り口はソフトでいて明確で
きいていても気持がいいなあと思いました。
東柱の時代には日本語が「支配の日本語」であったのに対し
今では日本後と朝鮮語の関係性が様々に模索されていることを
大門さんは肯定的にとらえられていました。
その文脈で
『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』も
高く評価していただきました。
在日コリアン参加詩人たちの多くが初めて日本語で詩を書いた事実については
「支配ではなく関係をつないでいく言葉として、日本語を位置づけ直した」とし
このアンソロジー自体は
「除外反対の目的のために日朝が言葉によってつながれ、日本人と朝鮮人の関係を作り直す」試みであったと言っていただきました。
会の後半は
恒例の愛沢革さんの東柱詩の解説。
詩「少年」と「雪降る地図」を的確に説明していただきました。
どちらもすばらしい恋愛詩で
どの日本語訳で読んでも流れるような印象がありますが
許玉汝さんが朗読してくれた原語はやはりすごく音楽的でした。
少年(愛沢革訳)
そこここで 紅葉のような悲しい秋がぽとりと落ちる。紅い葉の離れたそのあとごとに春の支度をととのえ 枝の上に空が広がっている。静かに空を見あげれば 眉に蒼の色が染みる。両の掌であたたかな頬にふれると 掌にも蒼の色が染みこむ。もう一度掌をみつめる。掌の筋には澄んだ川が流れ、清らかな水が流れ、川の中には愛のように悲しい顔──美しい順伊のおもかげが浮かぶ。少年はうっとり目を閉じてみる。なおも澄んだ川は流れ、愛のように美しい顔──美しい順伊のおもかげは浮かぶ。 (1939年作)
これまでも私はなか程の「蒼」が不思議だとずっと思っていて、
会でもそんな発言をしたのですが
でも今思えばその不思議さとは
東柱が感覚した色がどんな色だったか正確に知りたいのではなく
原語の「パラン」の色を知りたいのでもなく
つかみどころのないこの詩のイメージが(日本語では音はあまり関わりませんが)
言葉を超えふうわりと拡げる未知のあおを
私自身が孤独な少年となって
よるべなく味わってみたいという気持だったと思います。