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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(三)

(サンデルの著書には
最近の自分の活動の「琴線」に触れるものが多く、
しばらくこうして思いつくまま書いていきます)

愛国心と何でしょう?
私はなぜ「愛国」という文字を見る度に
どきっとするのでしょう?

「大いに議論のある道徳的心情だ」
とサンデルは言います。
道徳的、ということの意味は
昨日のメールの終わりに書いた通りです。

愛国心」に
私がどきどきするのは
自分の中にあるのかないのか分からない心情を
問われるからなのでしょうか。
それとも
自分には手の届かない闇の中にある
「臓物」
を探られるようだからでしょうか。

私はどんな時に愛国心を実感するのか?

愛国心愛国心という独立した感情としては
存在しません。

それは
この国に誇りと恥を感じる時のみ、
自分の内部に実在を確認できる何かなのだと
この本を読んで思いました。

「誇りと恥は、共有するアイデンティティを前提とした道徳的感情だ。海外旅行中のアメリカ人は、アメリカ人旅行客の無作法な振る舞いに出くわすと、たとえ相手と面識はなくとも恥ずかしいと感じる。相手がアメリカ人以外なら、同じ振る舞いをみっともないとは感じても、それを恥ずかしいとは感じない。」

家族や同胞の行動に誇りや恥を感じる能力は、集団の責任を感じる能力と関連がある。どちらも、みずからを位置ある自己として見ることを必要とする。位置ある自己とは、みずから選んだのではない道徳的絆に縛られ、道徳的行為者としてのアイデンティティを形づくる物語にかかわりを持つ自己だ。」

つまり、
私がいまだこの国に誇りと恥を感じうる
ということは
何はともあれ
私が自分自身を
日本という歴史的地理的共同体の中で
「位置ある自己」として見ることが出来ている、
つまり
「道徳的行為者としてのアイデンティティを形づくる物語」
とどこかで関わりを持ちつづけえている、
ということを意味するでしょう。