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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「スチウンダ」(「東柱を生きる会」に向けて)

「東柱を生きる会」第一回の準備を、今、
中心メンバー十数名ほどで、鋭意進めております。
初の試みですので、設営など限られた時間でてきぱきやれるかどうか、
多少こころもとないところもありますが、
東柱とこの会への各自の思いがうまく補い合い、いい会になる予感がします。

先月の準備会で初めて会った方々も多く、
それなのに短い時間でかなり意気投合して
それぞれの役割をきちんと果たそうと自発的に動いていただいています。
発起人としては大変助かっています。

それはひとえに尹東柱という詩人の人徳
あるいは彼の詩の「詩徳」ともいうべきオーラの、
なせるわざでしょう。不思議な人です。
亡くなってもう六十五年が経つというのに
彼の残した言葉と空虚は
ますます輝いていくように思えます。
それは時代の闇がふたたび濃くなってきたからでしょうか。


あるいは「ピョル」が
彼の詩の中からおのづと光をましているかのように。

当日は朗読の皮切りに、
一番有名な「序詩」を
韓国からの留学生の方(女性)と日本の詩人(男性)が交互に
朝鮮語と日本語で読みます。
先日のリハーサルで朝鮮語は在日の方が読みましたが、
こちらには意味は分からないながらも
言葉にこめられた思いそのものの響きが
伝わってくるようでした。

序詩                尹東柱金時鐘訳)

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。
                     

末尾の「かすれて泣いている」は
「スチウンダ」というそうです。
この詩を読んだ在日の方々はみな
「ここが素晴らしいですよね」
とうなずきあっていました。

この「スチウンダ」については昨年出た
木下長宏さんの『美を生きるための26章』に詳しいです。

最後の一行の日本語訳としては色々あって、
「今宵も星が風にこすられる」
「今夜もまた 星が風に吹きさらされる」
「今夜も星が風に擦れている」
「今夜も星が 風にかすれて泣いている」
がこれまでにあって、

最新の訳は
「今夜も星が風にそっと触れてゐる」
だそうです。

それぞれに理由があるのですが、
これらを並べてみただけでもそれぞれの訳者の「しぐさ」
が伝わってくるように思います。」
東柱という空虚にそっとふれようとした「しぐさ」、です。

私もこの一行にすごく詩的リアリティを感じます。
きっと詩人が遙かな未来である私たちの現在に、
身をなげうつように
ゆたかな「空虚」を贈ってくれたからでしょう。