玄関脇の夏椿が咲いていました(右から傘を差しかけています)。
目線より高い位置に咲いていたので、今日初めて気づきました。
苗を買ったのが6年前ですが、今では私の背丈をゆうに越えるほどに。
生まれて初めての手術の後に、何か希望を掴みたくて買ったのでしたが、
希望や絶望といった人間の思惑を越え、
植物は逞しくただ太陽の方向へのびていました。
ワールドカップで日本がデンマークに勝って、
大変な騒ぎです(今も夫が見るテレビの音量が大きすぎる・・・)。
遠い南アフリカで素晴らしい快挙だなあと思いつつ、
選手のインタビューで「日本国民の期待にこたえて」とか
「日本人になってよかった」というものがあって
こういう場面ではいつものことですが、不思議に感じました。
しかし「日本国民」も「日本人」について
いったいどんな定義なの? 突っ込まれれば
私も答えられない。
そもそも、国って何なのだろう。
「〜〜人」って血統なのか、住民を表すのか。
一人一人の個人である場合と、集団である場合とは違うのか。
日本の国境って一体どんな風に決まっているのか。
恥ずかしいことですが、じつはよく分かりません・・・。
朝鮮学校の除外の問題などを機縁に、
自分という一人の人間が持つ属性をじっくり考えなければ
と猛反省しています。
ふたたび、その日本国籍の問題を徐さんの本から考えます。
在日朝鮮人の側から考えると、国籍とは何かが具体的に分かるはずです。
昨日書いたように、
1952年のサンフランシスコ講和条約発効までは
朝鮮人は国籍変更を認められず、
日本国籍を保持したままでした。
しかし、だからといって戦後、女性と一緒になって
選挙権が与えられたわけではないのです。
むしろ敗戦前までは、一部の朝鮮人には選挙権がありました。
(朝鮮半島には議会も議員もなかったのですが、内地では一定条件を満たす人には参政権があった)
けれど日本は敗戦直後、これをまず取り上げます。
「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は当分の間、これを停止する」(1945年衆議院議員法付則)
この「戸籍法の適用を受ける者」とは内地の日本人を指します。
昨日も書いたように、
外地の朝鮮人や台湾人は、戸籍令の適用を受ける。
朝鮮人は朝鮮戸籍令、台湾人は台湾戸籍令です。
だから上の付則の文章は、朝鮮人、台湾人の選挙権を否定するという意味なのです。
旧植民地出身の人々を、このように
多くの日本人の側にとっては大変分かりにくい形で、
(「戸籍法」と「戸籍令」の違いなど、一部の専門家以外誰も知らなかったはず)
国政から排除するところから
戦後の日本は出発したのでした。
このような
意味をあえて分かりにくくすることで
その意図を知らせないようにする、
というやり方で
朝鮮人と日本人は国家によって分断されてきたのではないでしょうか(もしはっきりと「旧植民地出身者には選挙権を与えない」と書けば、日本人の側からももちろん反対意見が出たはずです)。
またまた続きを書きますので、お付き合い下さい。