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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

5月16日付京都新聞・「詩歌の本棚」

5月16日付京都新聞・「詩歌の本棚」(新刊詩集評)            

                                     河津聖恵

 東日本大震災によって、この国に生きる人の価値観は今、大きく揺らいでいる。3.11以後、詩の言葉のあり様もまた大きく変わらざるをえないだろう。言葉にならない破壊の光景や、言葉の届かない悲嘆に対して、人は沈黙するしかない。だが詩人は沈黙の深さに向かい、恐れずたゆまず言葉を指し向けていかなくてはならない。かつての関東大震災は、ダダイズムやシュルレアリズムなど、前衛的な詩表現の次元を切り拓く契機となった。原発事故も加わった今回の破壊は、まさに魂を打ちのめすものだが、これを新たな詩の原点とすることは決して不可能ではない。今自分が陥っている絶望と沈黙に耳を澄ませ、それらを誠実に深めることで、やがて未知の詩が生まれてくると信じたい。

 木下裕也『最後の声』(一粒書房)は、今を生きる人間の生の真実と、その真実に直面した自分自身の沈黙に、誠実に向き合う。いくつかの詩篇では、「葡萄酒」や「ノア」や「レギオン」といった聖書のイメージを用いるが、それらは沈黙の深さと重さを読み手に喚起させるだけでなく、言葉の展開の核となり、詩的な象徴性をもたらしている。次の作品の「舟」は、キリストがガラリヤ湖で乗った舟と、遙かに照応する。

「白い小さな舟に/ただひとり取り残され/あなたのまなざしは もう幾日も/湖面の同じところをゆっくりとめぐっている/(中略)/あなたにしか見えない鳥たちが/さきほどから 幾羽も/頭上を往来する/鳥はみなきっぱりと/闇に向かっていくまなざし/鳥は死を恐れないので/(中略)/ただ一夜の嵐の後/なお続いていく人生を/そのみずみずしい感性のまま/耐えていかねばならないのだ/あなたのせいではなく襲った/おそれの波に//白い舟に取り残されて/櫂ももぎ取られて」(「白い舟」)

 中川望『マケドニアの運転手』(私家版)は、散文的な筆致の中で、詩の起伏を作り出していく。言葉の密度がもう少し欲しい箇所もあるが、総じて、家庭裁判所調査員でもある作者の、人や社会を見つめるまなざしが各所に感じられ、信頼できる言葉のリアリティがある。次の作品は、「後見開始の事務的な儀式」のために意識のない老人を訪ねた場面がモチーフ。

「潮に焼けてひび割れ/あちこちに貝殻がこびりついたからだは/もうすっかり干からびて/大きく傾いたまま/動かない/(中略)/老人の胸が盛り上がり/空気を吸い/胸が下がって/空気を吐く/上がっては/沈み/上がっては/沈み//その波の起伏に乗って/いつしか 船はゆっくりと岩場を離れ/深い海底に身を落ち着けて/ゆるぎない魚礁となるだろう/新しい命を育みながら/永遠に休息を続けるその時が始まるのを/たぶん老人は/静かに待ち続けている」(「座礁した船」)

 司茜『塩っ辛街道』(視思潮社)は、作者の故郷である福井の記憶や、時を超えた現在の時空に身を預けてゆったりと語る、「語り」の詩集といえる。散文的だが、巧みな改行が詩としての空白感を喚起する。なかでも美浜原発の蒸気噴出事故を扱った作品に、おのずと目が止まった。引用された老人や少女の台詞は、今生々しく間近に響く。

「まちの保健所には原発からほうしゃのうがもれても/もれてから三十分の間にのめば助かるという薬があるそうです/(中略)/ヨウソ剤という薬の名前/私の知らない薬に/ホットした故郷の少女よ//私はこの続きをどう書けばいいのだろうか/また夏がきた」(「蜷局(とぐろ)」)