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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『詩と思想』2016年1・2月号 に時評「「毒虫」詩論序説―安保法案可決以後」が掲載されました。

詩と思想』2016年1・2月号に、

時評「「毒虫」詩論序説―安保法案可決以後」が掲載されました。

今年(2015年)9月の安保法案可決の前々夜に国会前のデモに参加した体験、

そして法案可決の翌朝に心身で実感したことから、

これからの詩をどう考えたらいいかを自分なりに模索しながら書いたものです。

あくまで個のものであるしかない「詩を書く行為」は

理不尽な権力に対峙するだけでなく、

集団的な「デモという行為」にも向き合って立たなくてはならないと

渦中において私は思いました。

もちろん決して、デモを否定し冷笑し、詩と無縁なものと考えるのではありません。

むしろ詩を書く行為はデモという行為からつねに問われていると思います。

「詩に今何ができるのか、何もできなければ参加せよ」

しかしそう絶対的な声で問われたあとに 詩は、小さな声で問い返す、

あるいはむしろ問いただすことが出来なくてはならないのではないでしょうか。

それがどのような問いであるのか私にもまだ分からない。

けっきょくは虫のように、誰にも聴き取られない言葉なのかもしれない。

しかし小さな声であることに自足してもいけない―。

そんな錯綜した思いのままにつづった小論です。

もちろん「毒虫」は詩と政治のはざまで苦しみ続けたがゆえに素晴らしい詩を遺した、

黒田喜夫の詩「毒虫飼育」から採っています。

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詩論集『パルレシア ―震災以後、詩とは何か』(思潮社)の予約が始まりました

私の三番目の詩論集『パルレシア ―震災以後、詩とは何か』(思潮社)が、

アマゾンで予約開始になりました。

発売は12月25日となっています。

この詩論集は、東日本大震災をめぐって書かれた文章を中心にまとめたものです。

安保法制や原発再稼働の動きが加速しようとする

現在の政治や経済によるいわば「散文的な暴力」にたいし、

「詩を書くという行為」はどのようにあらがえるのか―

私なりの問題提起として、一石を投じる本になっています。

詩を書く方々だけでなく、

ことばと現在について思いを巡らす多くの方々に読んで頂きたいと思います。

毛利一枝さんによる美しい装幀が、

緊迫した内容を繊細に包んでくれています。

以下目次と帯文です。

【目次】

第一章 パルレシア―震災以後、詩とは何か

・「パルレシア……」または命がけの比喩という行為──震災以後、詩とは何か  

・もっと「いのちの表現」を──震災後にツイッターを始めて

・「声の道」を拓くために──東日本大震災にとって詩とは何か

・「巨大な海綿状」の虚無とさえ引き合う詩―辺見庸『国家、人間、あるいは狂気についてのノート』

・闇の中でなお美しい言葉の虹──辺見庸『水の透視画法』

第二章 ここは巨大な孤独だ、事物の果てしないコミューンだ―小詩集

・影

・メドゥサ

石巻(一)

石巻(二)

第三章 鈍銀色の沈黙に沈んでいる―追悼文集

・虻と風になった詩人―追悼・吉野弘

・言葉に差別を刺す鋭さを与えよ ―追悼・辻井喬

・鈍銀色の沈黙に沈んでいる──追悼・新井豊美

・牟礼慶子さんという場所

・詩を書くという行為を受け継ぐ──追悼・吉本隆明

第四章 何よりもまず、詩人でありたい―詩人と時代をめぐって

・何よりもまず、詩人でありたい──詩人としてのシモーヌ・ヴェィユ

・夢の蓮の花の力──詩人としての中上健次

・私たちの今日の詩のために──ブランショ「再読」

・「現代詩システム」を食い破るバブル・身体性・大文字の他者──八〇年代投稿欄再見

・天の青の記憶とともに降りてきた問いかけ──詩人尹東柱の故郷 中国・延辺朝鮮族自治州をめぐって 

第五章 闇の中でなお美しい言葉の虹―書評

・闇のまま輝く生の軌跡──関口裕昭『評伝パウル・ツェラン

・本当の声が呼び交わしあうために──宋友恵著・愛沢革訳『尹東柱評伝』

・「向き合い」の結実──金時鐘『再訳 朝鮮詩集』

・遙かな時の海を越えて──青柳優子編訳・著『朝鮮文学の知性・金起林』

・バラあるいは魂の根づきのための戦い──席慕蓉詩集『契丹のバラ』

・アンガジェせよ、と誘う他者たちのほうへ──二〇〇九年東アジア翻訳詩集・評伝

・フランシス水車のやうに──『吉本隆明詩全集』から視えてくるもの

・私の中から今その声を聴く──アルフォンソ・リンギス『汝の敵を愛せ』                         

終章 詩は未来の闇に抗えるか

・死者にことばをあてがえ―詩人辺見庸のことばが触発するもの

あとがき

【帯文】

「震災以後の詩とは、「パルレシア」の意志としての詩であると私は思う。それは震災と原発事故によって、人間としての権利を?奪されたことを嘆き訴える声々と、遙かに共鳴しあわずにはいられない」(「「パルレシア……」または命がけの比喩という行為」)。

“パルレシア"――何についてでも率直に真実を語ること。脅迫をも、迫害をも、殺されることをも恐れず、自由に語ること。震災後の辺見庸の言葉を導きに、東アジアの詩や、シモーヌ・ヴェイユモーリス・ブランショ吉本隆明の思想、中上健次の詩作などを通して、真実の詩の光を見出していく。現在に問いかける渾身の詩論集。装幀=毛利一枝

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12月7日付京都新聞掲載「詩歌の本棚/新刊評」

詩の比喩表現には、大きく分けて隠喩と直喩と寓意がある。寓意とは、現実への風刺や批判をこめて、擬人法などを用いた比喩。隠喩と直喩はテクストを学ぶだけでも体得されるが、寓意は現実を見つめなければ掴まれない。詩に現代性をもたらす大切な技法だ。

 中西弘貴『厨房に棲む異人たち』(編集工房ノア)は、魅惑的な寓意に満ちている。厨房の様々な道具たちが、物の怪の不穏さと叡智を帯びながら、みずからの思いを独白する。飲食(おんじき)という人の根源的な営みの次元で道具と向き合った作者の詩的想像力の中で、人に寄り添う道具たちは、人の欲望と孤独のけなげな寓意となり、いきづき出した。

「身震いの毎日です/身を震わせると/わたしの身体を通して/落ちていくもの/残るもの/勝手に選別されて/もとよりわたしに/選り分けの意志はないから/落ちていったもの 残ったもの/それぞれの行く末は/知らない/だれが定めたのか/身を震わせるしか/生業は無いのだから/身震いを続けるほかありません」(「篩」全文)

 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)は、駄洒落やイメージの連想といった「戯れ言」を駆使しながら、現実のさりげない場面にひそむ重い真実を炙り出す。「戯れ言」はまた新鮮な寓意を呼び寄せている。ふと眼に止まった路上のイチョウの葉は、「鴨脚」という中国語を介し無数の飛び込み自殺の寓意となり、悲しくも美しい詩を結晶させた。

「中国語で「イチョウ」は「鴨脚」/確かにイチョウの葉は鴨の脚に似ている/鴨の脚が散らばる道路/人の脚が散らばる線路/口から口へ伝わるニュース/「銀座線、いま、とまってる」/不通の原因として報じられる死/一一〇万カンデラで照らしたら/丸の内口は見えるだろうか/人は電車に飛びこむのをやめるだろうか」「八重洲国から丸の内国へいったのではない/八重洲口から丸の内口に向かう/わずかな時間に/鴨の脚は散り/人の脚はさらに散り/東京は/東京の駅は/東京の線路は/きょうも人を散り散りにする」(「東/京/駅」)

 有馬敲『寿命』(竹林館)は、一九三一年京都に生まれ、今もこの地で詩を書き続けるオーラル派の詩人の詩集。替え歌や京都弁も取り入れ、老いの感慨を軽妙に表現する。自分を妻の飼い犬に見立てた寓意詩では、男性の老後の孤独というテーマが、京言葉と擬音語に救われている。

「留守番を頼まれたこっちは/近くのコンビニで弁当を買うてきて/犬の餌みたいに食うとらんならん/健康によい金属製の首輪ぶら下げて/放し飼いされとるけど/見えない鎖につながれとる//ううう うううう わあん わあん/わあん わあん わあん わあん/ううううう ううう わあん」(「負け犬」)

 橋爪さち子『薔薇星雲』(コールサック社)では、病からの回復の途上にある作者の鋭敏な感受性が、生活や自然の中に捉えた様々な寓意が煌めく。宇宙のガスが美しく輝く「薔薇星雲」は、時代の闇の中にいきづき続ける、はかなくも愛おしい生命の寓意である。

「動きのとれない病室の身でさえ/わたしの内臓は/オーケストラを成すそれぞれの独立と自由の/美しい曲線に充ちた楽器のように/日々おのおのの音色を/喜悦いっぱいに響かせようとする」「家に置いてきた星座図鑑の/120頁を開けようとして/届くはずのない腕を伸ばす//NGC2237/3600光年のかなた/一角獣座 薔薇星雲の/闇に萌える暗赤色の/さみしい冷たさに触りたくて」(「薔薇星雲」)

 

『女性のひろば』12月号に詩人尹東柱について紹介する文章を寄稿しました。

月刊誌『女性のひろば』12月号に、

詩人尹東柱について紹介する文章を寄稿しました。

原稿を依頼されるといつも思うのですが、

緊張感の中で、対象に真剣に向き合うことで初めて分かるものがあります。

今回も、社会派の女性雑誌ということで、

しっかりとした文章を書こうと私なりに力を入れる中で、

尹の獄死と現在との関連が私の中で明確に見えてきました。

たとえば朝鮮学校の無償化除外の背景にあるのはあきらかに、

ただすぐれた抒情詩を書きたくて文学を学ぼうと

日本に渡航した尹を獄死にいたらしめたのと何も変わらない

植民地主義だということが。

そしてそれは

2009年末に起こった京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件の

背景にあるものなのです。

自国の歴史に向き合わなくては社会や人の意識の根本が変わるはずもないのです。

多くの方々のお目にふれることを願っています。

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11月9日(月)コンサート&トーク「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」

11月9日(月)に行われる下記のイベントにパネリストとして参加します。

タイトル:コンサート&トーク「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」

場所:ウィングス京都・2Fイベントホール(京都市中京区東洞院通六角下ル御射山町262)

トークパネリスト:中西光雄・河津聖恵・山室信一

コンサート出演者:中西圭三(Vo)野田淳子(Vo)佐久間淳平(G/Vn/Mdr)嶋村よし江(Key)

開場17:30/開演18:30

¥2,000(前売り)¥2,500(当日)

¥1,500(学生・前売り)¥1,800(当日)

(問) 075-751-7076、junko21@mwa.biglobe.ne.jp(野田淳子事務所)

(問) 090-2592-3150(実行委員会・北波)

以下、メインパネリストの中西光雄さんのブログ記事を転載します。

「先月終了した京都新聞における私の連載「唱歌の社会史」の終了を記念して、有志の方々が実行委員会をつくり、11月9日18時より、ウイングス京都 2階イベントホールで、コンサート&トーク「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」を開催することになりましたのでお知らせします。

トークの部分のパネリストは、私の他に、詩人の河津聖恵さん、そして法思想連鎖史(京都大学人文科学研究所教授)の山室信一さん、コーディネーターは社会学京都大学大学院文学研究科教授)の伊藤公雄さんです。私にとっては、ほんとうにありがたいお話なのですが、メンバーの顔ぶれとその業績を考えると気圧され、逃げ出したい気持ちでいっぱいです。しかしながら、こんなチャレンジングで知的冒険心にあふれる機会はもう二度と来ないと考えて、お引き受けしました。まさに清水の舞台から飛び降りる(クリシェ)気分です。「唱歌の社会史」というタイトルにふさわしく、唱歌に限らず、近代の歌・音楽と社会の関係を歴 史的に総括してゆく会になると思います。

コンサートの部分ですが、私が連載でとりあげた12曲の唱歌に中から選んだ曲を、弟の 中西圭三と京都在住の野田淳子さん、ふたりのシンガーソングライターが歌ってくださいます。伴奏は、南こうせつバンドでもご活躍でギター・バイオリン・マ ンドリンなどを演奏してくださる佐久間順平さん、そしてキーボード・シンセサイザーの嶋村よし江さんです。きっとすばらしいコンサートになるでしょう。

実行委員会の方々、そして出演者のみなさまも、ほとんど手弁当で参加してくださっています。またこの美しいチラシも、上野かおるさんの愛情あふれるご協力のたまものです。ほんとうにありがたいことです。

このコンサート&トークは、河合文化教育研究所と京都新聞の後援をいただいております。ご尽力いただいた関係者のみなさまに感謝いたします。

みなさまのご期待に添えるよう私も張り切って準備いたします。

関西地区にお住まいのみなさま、どうぞ聴きにいらしてください。チケットは一般のプレイガイドでは扱わず、野田淳子事務所などで購入いだけます。お手数ですが、チラシ記載の要領でお申し込みくださいませ。

よろしくお願いいたします。」

(転載終わり)

私も、詩を書く者の立場から、中西さんの話につなげて、今の日本の心の在り方とも無縁では決してない、戦前の「抒情」について触れられたらと考えています。

今の日本の心をともに考え、感じあう、良い会になると思います。

多くの人のご参加をお待ちしております!

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花の姿に銀線のようなあらがいを想う――石原吉郎生誕百年(『びーぐる』28号)

花の姿に銀線のようなあらがいを想う――石原吉郎生誕百年

                            河津聖恵

 一枚の栞がある。七宝かさねという技法で、螺鈿めいた銀箔の縁取りがされたその中央に、今一艘の船の黒いシルエットが目的地に辿り着こうとしている。興安丸、と記されている。一九五三年、八年間の抑留の後、石原吉郎を祖国へ運んだ引き揚げ船だ。栞の縁取りの硬質ながらも壊れそうに危うく煌めく銀線と、船の黒いシルエット。二年前舞鶴の引揚記念館で買い求めた栞は、その時の記憶も重なり、繊細ながら閃く刃のような切っ先を持つ石原のモノクロの詩世界を、はからずも不思議に象徴化しているように思える。

 舞鶴を訪れたのは、季刊誌に石原論を書くための「フィールドワーク」のためだった。帰還直後、彼地の引揚者収容所で石原は立原道造を読み、日本語との「まぶしい再会」を果たし、三十八歳で詩を書き始めた。その六十年後、私が訪れた舞鶴に詩人の痕跡は、当然ながらどこにもなかった。引揚桟橋は当時の場所に保存されていたが、藻の異常増殖でくすんだ緑色になった海は、拒むように不機嫌に沈黙していた。記念館に展示してあるスプーンや針などの、抑留者が監視の目を盗んで作った物品のどこか骨のような姿だけが、石原がエッセイに書いたラーゲリでの苛酷な現実を、繊く硬く証していた。

 親族に絶縁状を突きつけた石原吉郎には故郷がなかった。ラーゲリと本質的には何も変わらないエゴイズムの満ちていた戦後の日本は、石原の望郷していた祖国ではなかった。帰還後詩人は、シベリヤの河畔で「猿のようにすわりこんでいた位置」という、どこにもない場所に居続けたのだが、その「位置」から石原だけの生の時間が、煌めく銀線のように石原だけの死の時まで続いた。遺された詩はすべて、その孤絶した線の軌跡であり、今読む者が触れることは難しい。触れようとすれば美しく煌めき、線は死へ向かって帯電する。詩人は生を「断念」し続けることで、ようやく生きることが出来たから。

 「花でしかついにありえぬために/花の周辺は適確にめざめ/花の輪郭は/鋼鉄でなければならぬ」(「花であること」)。花の輪郭の煌めく線を想う。ふたたび戦争の黒いシルエットが動き出した今、「断念」するほどのものが私にあるのか。石原の「断念」に学んでなお、「あらがい」は可能なのか。詩が詩でしかついにありえないとしても。むしろ詩でしかありえないがゆえの銀線のような「あらがい」を、一輪の花の姿に想ってみる。

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2015年10月19日付京都新聞「詩歌の本棚/新刊評」

「戦後詩」というカテゴリーがある。戦争体験を重要なモチーフとする詩を指すが、代表的な詩誌に『荒地』と『列島』がある。傾向としては、前者では知性に基づき個の内面を深める詩、後者では現実に向き合い人間性を回復する詩が目指された。「詩と政治」の問題が突きつけられる今、戦後詩をあらためて振り返り、考える必要があるだろう。

木島始詩集』(コールサック社)は、一九五三年の詩集の復刻版。『列島』を代表する詩人である木島は、一九二八年京都に生まれた(二〇〇四年没)。旧制高校生の時広島で原爆を目の当たりにした体験が、詩の原点にある。ラングストン・ヒューズや黒人文学の翻訳も手がけた。野間宏は木島についてこう評価する。「このように最初に平和によって自覚した詩人の魂を私達が日本にもつことができたのは、はじめてのことである。平和によって最初に自覚した魂は平和がおびやかされるとき、はげしいいかりをもってばくはつする」。また有馬敲は「京都人の芯の強さと時代風潮に逆らう気骨」を見る。危機への鋭敏な感覚と美的感受性に研ぎ澄まされた木島の詩は、今長い眠りから目覚め、声と眼差しをこちらへ新鮮に放ってくる。

「砂埃のようにぼくらの危惧を!/鳩はついにその鼓動の高鳴りをぼくらに放った。/掌から指先に急ぐぼくらの血が、/そのはばたいてゆく速度にきそい、/しかとぼくらはみな胸にするのだ。/その、たったいま別れたばかりの/恋人のような美しさと健気さを!/鳩 ………いまや、空を馳せるぼくらの純白の軌跡。/誓って、方位まごうまいぼくらの鳩」(「鳩」全文、一九五〇)

『安水稔和詩集成』(上下巻、沖積舎)は、初期から現在まで六十七年間の仕事をまとめる。上は敗戦後の深い虚無感にもがく『存在のための歌』(一九五三)、下は「五十年目の戦争」である大震災後、心の傷を癒そうと書かれた『生きているということ』(一九九九)から始まる。その構成にも、阪神淡路大震災後、追悼詩を書き続ける作者の思いが反映している。

「私は歌いたい/何を どのように/私は歌いたい/心いっぱいのやさしさこめて/私は歌いたい/花と戦争を/私は歌いたい/愛を愛してしまった死を/私は歌いたい/真昼 海沿いの寒村に降った黄色の雨を/その前夜 谷を渡っていたおびただしい松の花粉を/私は同様に歌いたい/何を/死の造花を/私たちの頭上に開いた薔薇を/たえまなく舞いおちるその花粉を」「私は歌いたい/歌いたい この巨大な造花の 火の/死の契約を/心いっぱいのやさしさこめて/歌いたい」(「一九五四年五月の歌」)

 片岡美沙保『月宮記』(私家版)は、末尾の一篇を除く全詩が、行分け(上)と散文(下)の二段組み。あとがきによれば、友人達の死がもたらした「統合できない感覚」が形式の亀裂を生んだが、書き進める中で「行分け詩を乞うるように」なったと言う。詩が生死の割り切れなさを昇華したのだろう。最後に到達した行分け詩は、文法的に亀裂を入れながら不思議に輝く。

「ここは無口な場所/ひかりの中のひかりをゆらぎ/ひかりの中のひかりと動く/記憶の足が駆けぬけてゆく/音もたてずにしずかを読んだ/この超日を帰るものがある/未熟のうちに還るものがある//のちの光として」(「(のちの光)」) 津坂治男『白い太陽』(銀の鈴社)は、「ジュニアポエム」をまとめた。戦後七十年目に、少年少女に人や動物のいとおしさについて、詩的ユーモアをこめて語りかける。作者はかつて『列島』の会員でもあった。