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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

若松丈太郎『福島原発難民─南相馬市・一詩人の警告1971年〜2011年』(コールサック社)

原発は一体今どんな状態なのでしょうか。Fu
本日の新聞には「原発輸出 当面撤退せず」とありますし、
昨日だったか事故収束予定より早く達成されそうだという報道も。
しかし冷却作業はまだ続くでしょうし
何よりもあふれつづける汚染水はどうなることかと心配です。

事故があって初めて気づいた原発という存在。
そのはかりしれない危険性。
とめどない不安。

明らかに3.11前と後とでは
まきちらされつづける放射能によって
風景の美しさも時間の意識も変わってしまいました。
くやしいですが、そのくやしさもまた
まるでそれこそ放射能のように、自分を含めたあらゆるところに放たれていき、
収拾がつかない。

若松丈太郎『福島原発難民─南相馬市・一詩人の警告1971年〜2011年』(コールサック社)は南相馬市から原発の危機を発信してきた詩人のエッセイ+詩集。
若松さんは福島県相馬地方のいくつかの高校で国語を教えてきた元教師でもあります。

1971年(福島原発が発電を開始した年)に書かれたエッセイ「大熊─風土記71」から
今年の震災体験を綴った「原発難民ノート─脱出まで」まで、
40年の仕事を緊急にまとめて出版されました。

読んでいて、つらい気持になりました。
こうした現地のカナリアの声が詩の世界にはまるで届いていなかったわけです。
もしかしたら時折私の眼にふれていたのに擦過していたのでしょうか。
そうかもしれない。
新聞でも原発の記事はめんどうくさいと読み飛ばしていた私ですから。    

東北とは原発との関わりにおいていかなる時空であったのか。
次の箇所からだけでもその一端を感じ取ることができます。
土地の本来の魅惑と、国家や都市に強いられてきた「生きがたさ」。
どこか熊野に似ている、と思いました。
(そういえば紀伊半島も原発立地計画の対象となってきたし、今もそうです。)

「弥生文化が縄文文化にとってかわって以来、米作中心の弥生的生活様式は連綿と現在に至っていると言ってもよかろう。しかし、東北地方のとくに太平洋岸は、その地理的気候的条件によって、米作に不適であることは周知のとおりである。」

「五、六十年まえの大熊町にはシカが多く、鉄砲を背中に突きつけるようにして撃つこともできたという。そんな話を聞きながら、原発から三キロメートル離れた双葉町清戸迫古墳群で発見された朱描きの装飾壁画を思っていた。弓を手にけものみちを、シカ、カモシカ、イノシシを追った日々が千三百年の時間を超えてあざやかにたちあらわれる。日輪の霊気が降りて肩口から肉体を満たし、そのとき人間はもっとも人間らしく豊かであったにちがいない。
 だがいまは、……双葉郡全体がそうであるように、大熊町も例外でなく、一九四五年に約九千人であった人口を十年後の一九六四年までに実にその六分の一を流出させている。」

「ダムサイトをしだいに奥地に求めてコスト高となった水力発電と、大量の燃料を国外に依存ししかも恒常的に確保しなければならぬ火力発電とによっては、急増する電力需要に応じえない見通しに立って、おりから基礎公害がなく工事費・燃料費が安いという理由で開発されたばかりの原子力発電所の敷地を探していた東京電力は、大熊町双葉町にまたがる長者原に着目した。長者原は海に臨む広漠とした台地で、戦時は磐城陸軍飛行場として本土防衛の基地であった。戦後入植された部分もあったが、ほとんどはふたたび荒地に復して、ときおり近くの小中学生が遠足で訪れ海を眺めながらべんとうを食べて帰る場所というぐあいであった。このように放置されていた土地だったため、東電は三百二十ヘクタールを二億五千万円(三・三平方メートル二百五十円)で簡単に買収することができた」                            (「大熊─風土記71」)

さらに、以下の詩ではすでに原発稼働から十年以内にすでに眼に見える異変があったことを、告げています。
比喩はなく事実だけを淡々と続けていますが、
こんな恐ろしい事実に比喩はいりません。
(ちなみに詩の後半では隠蔽されてきた様々な事故を知ることができます)

たとえば
一九七八年六月
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町南棚塩
舛倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの花びらにピンク色の斑点があらわれた
けれど
原発操業との有意性は認められないとされた

たとえば一九八〇年一月報告
福島第一原子力発電所一号炉南放水口から八百メートル
海岸土砂 ホッキ貝 オカメブンブクからコバルト六〇を検出

たとえば一九八〇年六月採取
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町幾世橋
小学校校庭の空気中からコバルト六〇を検出

たとえば
一九八八年九月
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
福島県原町市栄町
わたしの頭髪や体毛がいっきに抜け落ちた
いちどの洗髪でごはん茶碗ひとつ分もの頭髪が抜け落ちた
むろん
原発操業との有意性が認められることはないだろう
ないだろうがしかし

この本ではさらに、原発問題をうったえてきた詩人たちの仕事も知ることができます。
3.11後、永遠に突き付けられてしまった原発の恐怖。
詩がその恐怖に対し、いかに対極的に向き合うべきか。
詩人がその課題をくぐりぬけようとする時
この本は様々な貴重なヒントと情報がきっと与えてくれる思います。