#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2018年9月18日「しんぶん赤旗」文化面・「詩壇」

  清田政信『渚に立つー沖縄・私領域からの衝迫』(共和国)が出た。清田氏は
1937年久米島生まれ。大学在学中から詩を書き始め、米軍政下の60年代から復帰後の70年代にかけ、沖縄の詩人の中で最も精力的に詩と評論を発表した。だが80年代後半病を得、今も療養を続ける。本書は80年代前後に書かれた世礼国男、伊波普猷折口信夫柳田国男等をめぐる論を中心に編まれるが、沖縄思想を論じつつ、自己と風土の間の葛藤を詩的な言葉で考察する。
  私が氏の詩集に初めて出会ったのは二年前、那覇市立図書館に立ち寄った折だ。読むとすぐに詩のはりつめた美しさに惹かれた。どの言葉も現実の不条理に抗い、身をよじり何かを訴えていた。同時にそれらは沖縄の海と律動を共にし、波に洗われたように清冽だった。
「言葉を失ったら/彼方へ眼を投げてみろ/遠い内部が泡立ち海になるとき/錘りになって沈んでいくのさ/島では地のうねりを渡って/思考が崩れる  ほら  びろう樹は/古代の風に向って畏怖におののいたぞ」(「風の覇権」)
  例えばこんな一節から、詩人の感受性がいかに沖縄の風土に育くまれたかが分かる。一方詩人が軍政下でシュールレアリズムの作風で書き始めたのは、自分の心の秩序を沖縄の現実と「同じ次元まで破壊して均衡をたもつ」ためでもあった。
  翁長知事は、本土のために一方的に犠牲を強いられ続けてきた沖縄には「魂の飢餓感」があると言った。清田氏の詩が40年以上前の過去から突きつけるのも、心にのしかかる軍政の抑圧に打ち砕かれまいとする飢餓感だ。
  沖縄には感情の歴史がある。かの地の詩人を知ることは、その深さと激しさを知ることだ。