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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2023年2月20日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評[ 」

 詩は世界の闇や混沌を言葉によって造形するものだー『高良留美子全詩 上・下』(土曜美術社出版販売)を読みながら思った。一昨年亡くなった詩人が、逝去直前まで改稿を重ねた本書は、初期詩篇から今を鮮やかに撃つ。思春期に敗戦を迎えた詩人は、戦争を繰り返す世界への「泥のようなニヒリズム」と、戦争を忘れた戦後日本への「希望のなさ」を抱え続けた。だがそれらから、煌めく詩的物象を造形した。根源的な変革の夢を甘美にまとわせて。シベリア抑留を描いた絵をモチーフとする掉尾の詩(下巻、2017年)ー。
「ひとが倒れる。人間は大陸の土になる。鉄兜の捕虜が解体する。空は水に沈んでいく。いたましきものには首がない。冬の鳥が飛び立つ。/記憶する風景に、目がある。忘れえぬ人たちが壁に並ぶ。抱きしめたい、悲しみ。生きるもの、生きるもの、生きるもの。旅は終わらない。頭部が漂泊する。泥土がかたる。白い光は檻の中に射す。樹々の色をした、複数の声。/沈黙のトルソは、泥から生まれる。地底からひねり出された手に、魂が宿る。すべてが沁みていく大地に、兆しがみえる。/森の精霊が躍る。女たちが待ちわびる。嬰児の夢が招く。」(「泥がかたる」全文)
 松本衆司『破れ』(ひかり企画)は、無から生まれ無へと還る生の時間を、死の沈黙を擦過するようにして描き出す。人は虚しさの中から「それぞれのポエジーという束の間の美を追い求める」。記憶に刻まれた「ポエジー」は「思い出として甦り、その人の今に寄り添いもする。或いは普遍的な芸術や思想として時空を超えていくやもしれない。人はそうして真理に近づく時の歩みの旅を続けている。」(あとがきにかえて)作者は自身の過ぎ来し方を懐かしむだけではなく、他者の時間に想いを馳せ、無数の生が交錯する世界という、豊かな生きもののすがたを造形する。
「少女よ/あなたは歩くがいい/晴れた空に向かって/風を感じ、足を高くあげて/歩くがいい//涙も青く透きとおり/あなたの歩みも/透きとおり/移りゆく季節の/光に誘なわれ//鳥たちは生きる形に/空を舞う//光は円(まどか)に/風はほのかに/あなたの歩みに寄り添い/しばしの間/光の匂いと雲の欠片(かけら)に/憩えばいい//隣には/微笑み交わす/人がいて、きっと/希望があふれよう//少女よ/あなたは歩くがいい/光る風は/生きる空を/緩やかに輝かせ/あなたはそのなかを/眼差しを見失わず/偽りのない髪を靡かせ/歩くがいい//でも、もし/迷いや哀しみが/浮かぶとき/遠い星に問いかけよう/光に誘なわれ/ここまで来たよ/と、眉をあげて」(「光は円に」全文)
 木下裕也『梯子』(土曜美術社出版販売)は、「可視の領域と不可視の領域」が切り結ぶ。不可視の領域がなおざりにされれば、可視の領域も大切にされていない。作者は「ふたつの領域をつなぐ梯子としての言葉」を模索した。次の「人形の目」が見るものは何か。
「落ちた場所が/土ではなく/湖面だったので//湖水は/押し返す ということをしないので//木彫りの人形は/ただひたすら落ちていった/まっすぐに 深みへと//今日 ここで/このように取り落とされたのも/偶然ではなかっただろう//手足のきかないまま/だれも到達したことのない場所へと/いま 運ばれていくために//ふたつの目が刻まれていたのも/偶然ではなかっただろう//だれひとり目にしたことのない/誰の目にも隠されていた光景を/いま 目の当たりに見るために」(「湖底」全文)