私たちは日本語と日本の風景に、常日頃空気のように親和している。だが詩は、感受性の力でそこに違和を持ち込むことが出来る。日本語が異語のような面白さや不気味さをあらわし、風景が新鮮で危うい異貌をおびるとき、詩はポエムを超えて、現代性と世界性を獲得する。
姜湖宙(カンホジュ)『湖へ』(書肆ブン)の作者は二十七歳。ソウルで生まれ六歳で渡日した。本詩集では、二つの国と言語の間で生きる作者が、自分は何者かという根源的な問いに揺れながら、二つの風景と言語が映り合う透明な時空で、詩を生成させていく。日常の出来事が暗喩や省略を織り込んで語られるが、沈黙や空虚をたたえる語り口は柔らかく、おのずとこちらの想像を誘う。自身の来歴、父母との関係、故国への思い、そして結婚し子供を持った日本で生きていくことへの複雑な感情―。ふと同じ二十七歳で、解放直前に獄死した尹東柱(ユンドンジュ)を思い出す。本詩集には尹への言及箇所もあり、植民地支配下で殺された全ての死者の声なき声が、奥底で作者を詩や絵へ向かわせていると分かる。「私の生を、無数の死が摑み続ける。」(「願い」)作者は詩と政治との間で揺らぐ。苦悩しつつ禁じられた朝鮮語で抒情詩を書き続けた尹のように。
「荘厳な音楽が流れて来る/たしかに聞き覚えのある旋律は/イムジン河か、ワルシャワ労働歌か。/急がないと、間に合わない/私は一気に階段を駆け下りる/暗い広場には誰もいなくて/私は彼らを探し求めて/あてもなく走り出す/喉に当たる風が/鋭く/咳き込む/温かい食事の匂いが/取り出したスカーフが/強風に攫われ川に落ちていく/懐の原稿を/一刻もはやく届けないといけないのに/あかりも こえも/見当たらなくて/途方に暮れる/地図も読めない一兵卒が/深い山林に分け入っていく/無謀さで/追いつくことなどできない/それは始めからわかっていたこと/寒さを耐え忍んで/冬の街を彷徨う/とっくに解散したデモ隊の最後尾に/どうにか辿り着こうと」(「定刻」全文)
大谷良太『方向性詩篇』(編集室水平線)もまた、日本と韓国の風景と言語を巧みに映り合わせる。二つの国のあわいで、人も事物も感情も、「はじまり」の初々しさと透明で硬質な抒情を獲得している。時に振られる韓国語のルビが、紙面に不思議な浮力をもたらしている。隣国の声には日本語を解放する力があるのだ。例えば「学校」に「ハッキョ」とルビを振る。するとあらわれる新鮮な風景と思考―。
「一時期僕が上の子を通わせていた、/朝鮮初級学校も、とてもきつい勾配の上にあった。/子供と歩いてその坂を登り詰めた。/あの日々は自分にとって、どんな思い出なんだろう?/子供にとって、どんな思い出になったんだろう?/幼い子供たちの通う学校(ハッキョ)の前の道路に、/横断歩道さえ整備させない、この不思議な社会の構造って?/僕はきっと「差別」のことを考えたくて、でももっとそれ以前の/普段人が向かうこともあまり思わない、坂道の上にあるもの一般を漠然と考えている。」
「僕はやはり僕なりの仕方で、「坂の上」を自分に繋げてみたいんだろう。/学校(ハッキョ)が坂の上にあった、その「ウリハッキョ」は今もちゃんと坂の上にあるよ。ほんのひと汗の努力なんだよ。/少し馳せるだけで到達可能な、きっとこれは「思い」の持ち方の問題。/そんな、努力ですらないのかも知れない、僕にとってはやはり漠然としたままの/永遠に「ひと汗」の問題。」(「ひと汗」)