本日朝日新聞夕刊一面「ニッポン人脈記」に
石川逸子さんが登場されています!
石川さんは『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』の参加詩人でもあり
8月の文科省の要請へも同行して下さいました。
記事中に心に残った言葉がいくつもありました。
引き取り手のない戦没者の遺骨36万柱が収められた千鳥ケ淵戦没者苑で語った言葉─
「語れない者たちの言葉が、いちばん強い言葉なのかもしれませんね」
中学校教師をしていた石川さんに、広島在住の朝鮮人被爆者が語った言葉─
「原爆の被害を言うなら、よその国の人間が日本軍に殺された痛みをなぜ知らないのか」
この言葉が侵略の歴史に目を向ける契機となったそうです。
初めて千鳥ケ淵の墓苑を歩いた時思ったこと─
「ここに眠る32万1632柱(当時)の遺骨が、死んだときのボロボロの姿のまま、地上によみがえって行進すれば、そして、そのあとを日本軍の犠牲となったアジアの人々が続けば、人々はもう二度と戦争などしなくなるだろうに」
日本の、アジアの戦争の死者たちの無言の声を詩の言葉に紡いだ、詩集「定本 千鳥ケ淵へ行きましたか」について─
「これからの世代に戦争が伝わるかどうかはわかりません。けれど、伝える材料は残しておきたいのです」
記事の筆者が思ったこと─
「次の戦争が始まれば、昔の戦争はたちまち忘却される。次の戦争を始めないために、私たちは記憶を未来に生き延びさせねばならない。」
そして最後に引用された石川さんの詩の一節─
半世紀前に殺され ものいわない白骨となった
数えきれないほどの 人々のなかから
せめて
一人の少女 の
一人の少年 の
面影を
そっと胸のなかに蔵(しま)いましょう
(「1995・千鳥ケ淵で」)