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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ガラスのコップ

新聞の紙面で私のまなざしがよく立ち止まるのは、
詩人の性分からか比喩の言葉です。
うまく決まった比喩があるとなぜかその記事もより信頼できる気がします。

今日は朝日新聞の朝刊一面が意外な記事で、ふとまなざしをひかれました。
日本に出稼ぎに来た外国人労働者の子どもたちの母国語習得についてのルポルタージュです。
見出しは「日系の子 言葉の迷子──」
この「言葉の迷子」に目が止まりました。
不況で母国へ帰国するブラジル日系人などの子どもの中には、
母語も日本語も不十分な「ダブルリミテッド」といわれる子たちがいます。
母親たちが残業で遅くなり会話ができないため、母語が思うように習得できず、
一方日本語も難しく、かつ日本社会の冷たさも心理的な壁となり、習得が不十分なのだそうです。
「ある程度の抽象概念を母語で表現できて初めて、次の言葉を習得できる。母語の土台がないと考える力が育たず、どっちの言語も中途半端になるのではないか」
だから当然投げやりになって非行に走る子もいる。
しかし犯罪をおかした子も少年院で日本語を習得すると、
日本の文化や社会に興味も出てきて、
生きる希望や意欲が出てくるのだそうです。
つらい話ですがここで魅惑的な比喩に出会いました。
日系人は用意された『ガラスのコップ』の中で暮らしてきたようなもの。日本人とはガラス越しにお互いの存在を認識しつつ、交わることはなかった」
日系人専門のハローワーク職員の言葉です。
これまで日系人の住居や仕事や学校の紹介は雇い主の側だけで丸抱えで担ってきた、
日本社会全体での受け入れ体勢がなかった、
日本人は無関心だった、
ということの表現です。
コップの中の嵐、から思いついた表現でしょうか。
なぜガラスかといえば、それはとても危ういことだからです。
そのことがいま、かれらが帰国せざるをえない事態になって、やっと分かった。
「不況の直撃で『ガラス』が割れ、コップの外に飛び出してきた日系人たち」
ブラジル人学校という教育現場から子どもたちが、あてどなく不安の中で散逸しつつあることの表現です。
母語も不十分なままブラジルに帰った子、
日本語が不自由なまま公立校へ転校した子、
どの学校にも通わなくなった子・・・
公立へ行く子の多くはいじめを恐れているといいます。
ハローワークの職員が使った「ガラスのコップ」とは
様々な脆さと痛みがこめられたすぐれた比喩なのでした。
とてもシンプルな表現なので、けっしてプロは思いつかない言葉です。