金時鐘氏の詩集が次々刊行されている。『金時鐘コレクション』(藤原書店)、『金時鐘詩選集―祈り』(丁海玉編、港の人)、新詩集『背中の地図』(河出書房新社)と続く。これら三書からは一九五〇年代に始まる氏の、六十年以上の詩的営為の全体像を見て取ることが出来る。そこに貫かれているのは歴史と社会に向きあい、弱者に寄り添う姿勢だ。それは、朝鮮人として日本語で詩を書くこととは何かという弛(たゆ)まぬ自問に支えられている。植民地下朝鮮で自己形成した氏は戦後、自身に巣食う「日本」と対峙しつつ日本語で詩作した。そしてそうした詩作を、朝鮮人として生きるよすがとしてきた。
『背中の地図』は原発事故と渾身で向き合った力作だ。金氏の研ぎ澄まされた日本語が、見捨てられた核被災地の悲しみと怒りの姿を描き出した。詩に寄り添われそれは、闇の中で希望とも絶望ともつかない微光を確かに放っている。
「目を閉じて思い見る。/日増しにつのる地球の荒い息づきを、/天外の青い火にかげってゆく/うっ積した焔(ほむら)の真赤なたぎりを。//まばゆい浪費に浮かれているのは/利に敏(さと)い己れである。/利便さに相好をくずし/夜を追いたてた不夜城に悦に入っている。//思いおこすのだ。/産土神が坐(ま)しました里の夜は/畏(おそ)れがしろしめす奥深い暗(やみ)だった。/その畏れを散らして/禍いは青く燃えているのだ。」(「入り江の小さい村で」)
井崎外枝子『出会わねばならなかった、ただひとりの人』(草子舎)は、受け容れがたい夫の死を受け容れようとする魂の戦いの詩集だ。「死と出合って真っ先に折れてしまったのが、言葉だった」という。絶対的孤独はどんな言葉も、「簡単に打ち破ってしまう」。「でも、しかし、言葉しかない」―言葉の根源を支えるのは、愛する他者の存在(あるいは不在)なのだ。大震災もまた多くの人々に絶対的孤独をもたらしたが、残された者にはたとえ無力なものであっても言葉しかない。言葉とは、人間にとって最後に残される希望かも知れない。
「いつの間にか暗雲は立ち消え/あたりはすっかり明るさをとりもどしていた/一瞬 どこか涯のないところにまで行ってきたような/言葉をさがすが 言葉にならない/ああ! なんと数少ない母語だろう/なぜ一つの母語しか持たないのだ/遠い語族に触れてしまったのか/濡れたように重い 手の感触」(「雲を追って」)
『原圭治詩集』(土曜美術社出版販売)の作者は十三で敗戦を迎えた。当時十七歳だった金氏とほぼ同世代。初期から現在までの詩を収めるが、全ての詩が平和へのつよい思いから書かれている。テーマなき現代詩を批判したエッセイは、頷くところが多かった。
「私は戦争体験を持たない世代の人々にも、どのような手段と方法でもってしても、あの戦争についての事実を、想像力を働かして思慮深く考えて欲しいと思う。そこから人間にとっての「個人の尊厳」とは、という一つの答えが導き出されてくるのではないかと考えている。」(「時代の新しい分岐点に私たちは いる」)
リジア・シュムクーテ『白い虹』(薬師川虹一訳、竹林館)の作者はリトアニア生まれ。第二次大戦後幼少期を難民キャンプで過ごした。凝縮された短詩形式には、かけがえのない言葉への思いがあるのだろう。
「言葉がどもりながら/文章になり//時は/消滅の縁で/ためらい//全ての存在と/不在とがそこで出会う」(「言葉がどもりながら」全文)