昨夜NHKの放送記念日特集番組をみました。
「激動のマスメディア、テレビ・新聞の未来を徹底生討論」
というテーマの番組です。
テレビ・新聞といった従来のマスメディアは、ジャーナリズムの良識や経験に裏付けられたものであるとして擁護する側として、NHK副会長、新聞・テレビ側の代表者、
マスメディア媒体がインターネットへ移行しつつある現在の状況には、情報の多様性や双方向性といった点で積極的な意味があると主張する側として、配信会社の代表やIT評論家、
それから両者に対し客観的な意見を述べる側として、メディア社会学の大学教授、
という顔ぶれの討論でした。
たしかに今、新聞もテレビも若年層ほど読まれなくなっているという事実は知っていましたが、配信会社代表の
「新聞・テレビとインターネットは全然別な世界。インターネットを情報源としている人たちは、新聞やテレビをまったく見ない。インターネットという場で知らされないことは、基本的に「この世に起こっていない」。昨日新聞がインターネット参入を発表したが、新聞やテレビがただインターネットに参入しようとしても、だめだ。」
というような内容の発言は、どきりとしました。
国会中継も、インターネット動画で見た「ユーザー」が、投稿するコメントがテロップで次々画面を走っていく、そして配信会社の記者はユーザーの投票で高得点を取った投稿から、大臣に質問する・・・そんなことも実際行われているようです。
その場合、いわばインターネットの生な情報を、ユーザーたちはそれぞれの現在いる場所で受け取りそこから即座に応答するわけです。たしかに、そうした瞬発的な場は、いわば鑑識眼のある、また言葉の能力のあるユーザーがそろえば、活き活きとした公共性を生み出す可能性はあります。けれど一方、瞬発や即応というのは、未熟なユーザーにとっては、容易に動物的な本能を刺激してしまうはず。そこに、事実を抹消するほどの動物的な阿鼻叫喚が出来する可能性も大きいと思います。私は実際そのような中継動画を見て、恐怖に駆られたことがあります。匿名性や差別語などの問題はもっと議論すべきでしょうし、匿名の投稿への匿名の投票がものをいうのは、風評が支配することにもなりかねません。インターネット情報はいくら生なものといっても、ある意図を持って投げこまれているはずですから。それから、これからは、技術を持つ者と持たざる者の「格差」がどんどん拡がっていくだろうし、そうするとインターネットによって言論を支配する者とされる者といった構図ができあがってしまうのではないでしょうか。
いずれにしても、私はこうしたブログの力を実感しつつも、やはり新聞の活字の力は良識の力だと信じる者の一人です。