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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(終)

サンデルの言葉をくりかえします。

「自分の国が過去に犯した過ちを償うのは、国への忠誠を表明する一つの方法である。」

忠誠、というのはいかにもアメリカ的でしょうか。
それとも、アメリカ的な愛国心のあり方を揶揄しているのか
分かりません。

あるいは

「家族や同胞の行動に誇りや恥を感じる能力は、集団の責任を感じる能力と関連がある」

とも言っています。

つまり誇りと恥は、愛国心のあかしです。
そして愛国心という道徳的感情のみなもとは
「集団の責任を感じる能力」にあるのです。

それは私たち「個人の責任」ではなく
私たちが帰属する「共同体の責任」を感じる能力です。

しかし日本人であるこの私に
これまでの半生において
そのような責任を感じる能力を養う機会があったでしょうか。

自分自身の怠慢もありますが、
答えはNOです。

一方「哀悼」や「悲しみ」ならば十分あったと思います。

戦争で学徒動員された父は
私が幼い頃、本屋に行くたびに
子ども向けの戦記物をよめよめと何冊も買ってくれました。
私も涙を流しながらよみふけりました。
また休みの日になると
戦死した友人たちが乗っていた軍艦や飛行機の模型を
弔うように黙々と作りつづけていました。
そうした父の姿からは
何とも言えない悲しみが伝わってきたものです。

けれどそれは「戦争はいけない」という
はっきりした形ある普遍的な感情へと
まっすぐにつながるものではなかったのです。
むしろ「負けて、犬死になった人々はかわいそうじゃないか」
というような
共同体的なものでありながらもひどく漠然とした悲しみ、悔しさでした。

親の無言の影響とはおそろしいものです。

もちろん父も再度の戦争を望んでいたわけではなかったし
平和な時代を歓迎していたはずです。

しかしたしかに
何かくすぶった悲しみを連綿と抱えていました。
(ちなみに生年が三島由紀夫と同じです。
父もまた
戦後における戦中世代の精神的な危機を抱えていたのでしょうか。)

かなり前、ある人が言った言葉にありました。
「ねじれ」。
自国の三百万の戦死者を弔わずして
なぜまず謝罪ありきなのか、という問いかけから来た言葉でしたが
私が父から感じたのも
たしかに「ねじれ」でした。

「ねじれ」から来るくるしみ、悲しみ。

しかしそれはくるしみや悲しみではあっても
そのままでは、サンデルのいう
愛国心のための「道徳的な基盤」とは決してなりません。

自国の戦死者がいかにかわいそうであっても
そのように愛撫される日本は、
やはり自己幻想の、自己本位の日本です。
この国が
国民が自分自身の「人格の物語」をその中で生きうる共同体
となるためには
やはり過去に犯した罪に向き合わなくてはならない。
「自分が属さないコミュニティに対する」道徳的責務
果たさなくてはならない。
それがこの国と、この国を生きる私たちの人格の糧となるのです

またその責務、責任感とは、ただ平和がすばらしい!戦争はいやだ!という
いわば世界市民的(直接的)感情でもありません。

サンデルのこの本から
私はなにか決定的な確信をつかむことができました。

多くの人に読んでもらいたい本です。