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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ガルシア・ロルカ「水に傷ついた子供のカシーダ」

辺見庸さんの『眼の海』を読んでから
レクイエムが気になり始めました。

たとえばこんなレクイエム。
これを初めて読んだ時、溺死した子供への挽歌かと思いました。
けれどそれにしてはやや難解です。
いずれにしてもここにあるシュルレアリズムの美しさは
胸を直接的に射るものがあるのですが。
ある解釈によれば
この「子供」とはロルカの故郷であるグラナダとのことだそうです。
あるいは正確にはグラナダの美しい魂のことであるとも言っています。
かつてアラビア時代に繁栄してから凋落していったグラナダ
この詩が書かれたのは1936年前後のようですが、
その頃、スペイン内乱が始まり
グラナダでもファシストが巻き返しをはかり
人民戦線の側に立つロルカはここで暗殺されます。
「子供の死」はロルカ自身の予感なのでしょうか。
何か甘美な胸騒ぎを覚えるレクイエムです。

水に傷ついた子供のカシーダ
                        ガルシア・ロルカ(小海永二訳)

わたしは井戸に降りて行きたい、
グラナダの壁をよじり登りたい、
水の暗い錐(きり)で
刺し貫かれた心臓を見つめるために。

 霜の冠をかぶって
傷ついた子供が呻いていた。
池や天水溜めや泉たちが
風に向かってそれぞれの剣を振りあげていた。
ああ なんという愛の怒り、何と人を傷つける刃(やいば)、
何という夜のざわめき、何という白い死だろう!
何という光の砂漠が
暁の砂地を徐々に沈めていたことか!

子供はひとりぼっちだった
その子の咽喉の中には眠る町。
夢からほとばしる噴水が
子供を水草の飢えから守っている。
子供とその子の末期の苦悶とは、向き合って、
結び合う二本の緑の雨だった。
子供は地面に横たわり
その子の末期の苦悶がかがみこんでいた。
 
 わたしは井戸に下りて行きたい、
一口ずつ味わいながらわたしの死を死んで行きたい、
わたしの心を苔でいっぱいに満たしたい、
水に傷ついた子供を見るために。

*カシーダ:アラビアの詩型の一つ。リズムある短い定型の詩。