広島の朗読会で
崔真碩さんが紹介してくれた1950年代の詩の一つ
江島寛の「突堤のうた」は
50年代という肉体の陰翳と明暗をまといつつ
他者への連帯を熱くもとめた
これぞアンガージュの詩というべき作品です。
朝鮮戦争のとき、
本気で戦争をとめようとした日本の労働者の詩だそうです。
朝鮮戦争。
日本人はそれを忘れている。
一方で在日朝鮮・韓国人は忘れることができない。
そして朝鮮戦争がもらたした済州島の大虐殺から逃れた人々が
在日コリアンとなったこと。
そのことを日本人は知ろうとしません。
在日朝鮮・韓国人の魂には、その事実が生まれながらに刻まれています。
そう、私もまた何も知らないのです。
朝鮮特需が準備した高度成長時代に生まれ落ち
東西冷戦の中で繰り返された核実験の放射能を吸って育ちながら
何も知らされないできました。
知らないことは、知らされないことでもあり、
知ろうとしないことでもあります。
現在朝鮮半島で起きていることもまた
突然起きたことでは決してないでしょう。
まるで突然のように見えるけれど
私たちの無知の蓄積の上で何かが火を噴いたのです。
この作品をめぐっては
は野樹かずみさんのブログ(http://yumenononi.blog.eonet.jp/default/2010/11/1950-a71a.html)
もぜひご参照下さい。
江島寛「突堤の歌」
1 海
海は
河と溝をとおって
工場街につながっていた。
錆と油と
らんる 洗濯板
そんなもので土色になって
源五郎虫の歯くそのにおいがした。
海は釜山(プーサン)にもつながっていた。
破壊された戦車や山砲が
クレーンで高々とつられて
ふとうから
工場街へおくられた。
ふとうは日本につながっていた。
日本の
ふみにじられたすべての土地につながっていた。
(後略)
5 はばたく旗
海はあふれだす
海は 司令塔にむかってしぶきをあげている。
魚よ! 君よ! 鎚よ!
ふとうにはばたく
おれたちの旗をみてくれ!
君とおれたちの団結の旗を。
占領者を海にたたきおとすために
あまさず
奴らの弾薬庫をうばいかえすのだ。