たくさんの友人・知人が抗議してくれたにもかかわらず、宮城県知事が決議を撤回したという知らせが入りません。それで私も村井知事への二度目の抗議文を以下のように書きました。『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』の朗読会用冊子も同封して、明日書留で送ります。
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村井嘉浩知事殿
被災地での間断なき陣頭指揮に深い敬意を表します。
私は、昨年8月に詩人・歌人79名による『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を発行した詩人の河津聖恵です。東北朝鮮学校の件で再度のお便り(前回はメールにてお送りしました)を失礼致します。
昨日4月4日、私の住む京都の地元紙である京都新聞夕刊に掲載された記事をお送りします。記事は、日本人と朝鮮人がいかに今、被災を受けた素裸の人間同士として助け合い、励まし合っているかを伝えています。福島と宮城の朝鮮学校のそれぞれが地域の拠点として役立っており、教師たちがみずから被災しながらも、他の被災者のために炊き出しを行っているということです。私はこの記事に感動しました。また、被災地で日本人と朝鮮人が助け合い、理解し合っているという事実に安堵しました。被災地から遥か遠くにいる私自身の方が、逆につよく励まされたほどです。
知事はこの記事をどう読まれるでしょうか。
私は知事に、宮城県議会の東北初中級学校への補助金不交付決議を、撤回していただきたいとつよく願います。この京都新聞の記事からも、今回の決議が、宮城県住民の意思を反映していないことは明らかではないでしょうか。
まず地方行政は、首長と議会だけのものではなく、まず第一に住民たちの意思を反映したものでなくてはならないはずです。決議は、日本人と朝鮮人の市民達の間に生まれつつある相互扶助と相互理解の芽を摘むものです。もしこの決議が実行されるならば、住民のよりよい生活と未来を第一に考えるべき地方行政が、トップダウンで住民の間に差別や分断をもたらす結果となる決議を下したことになります。宮城県政史においても確実に最大の汚点となるに違いありません。
今回の不交付は国の基準に倣ったものと聞きましたが、そもそも住民のためにある宮城県という共同体が、日本国家という政治的共同体の真似をすべきでしょうか。むしろ県は、国家には出来ないこと、手の届かないことを、やっていかなくてはならないのではないでしょうか。国家が引き裂きがちな人と人とのつながりを、国家に抗ってでも、みずから固有の風土の中で育むべきではないでしょうか。
今回、貴地では、炊き出しの現場として初めて朝鮮学校に入った人も多いはずです。避難者たちは、朝鮮学校で接した教師や生徒達の姿に、人間本来の温かさや生きる力を感じたのではないでしょうか。
国家は朝鮮学校を理不尽に排除しています。しかし地域においても、根強い差別感のために学校を訪れる人は少ないのです。だから、今回の震災を契機に東北初中朝鮮学校において生まれた人と人との絆はまさに奇跡なのです。
知事にお願いします。この被災という未曾有の危機に対し一緒に立ち向かわなくてはならない日本と朝鮮の人々の間に生まれたつながりの芽生えを、理不尽な補助金不交付決議によって踏みつぶさないで下さい。地方行政の側から住民にあらぬ相互不信をもたらさないで下さい。今生まれつつある民間の日朝友好に対し、安易に国家と同じ立場を取って水を差し、日朝対立へと暗転させないで下さい。
被災によって負った心の傷は人と人のつながりからしか癒されません。人と人とのつながりこそが、今、光であり希望です。どうか宮城県という地方自治体の誇りと優しさによって、国家とは違う立場で、朝鮮学校を舞台にあらたに始まった友愛を、育んで下さい。貴県から日本を、共に生きる新たな共同体へと変えて下さい。
どうか、宮城県という地域の未来のためにも、東北初中級学校への補助金不交付を撤回して下さい! つよくつよくお願い申し上げます。
2010年4月5日
河津聖恵