「原子爆弾の惨劇のなかに生き残つた私は、その時から私も、私の文学も、何ものかに激しく弾き出された。この眼で視た生々しい光景こそは死んでも描きとめておきたかつた。」原爆体験を描いた小説『夏の花』の作者原民喜の言葉だ。同作では悲惨な光景が抑制された文体で綴られる。だが「すべて人間的なものは抹殺された」地獄の記述の箇所で、作者はふいにカタカナの詩を挿入する。散文では表現できない地獄の本質を、無機的な詩で炙り出したのだ。原の小説は散文詩としても評価されるが、経験の痛苦と見事につりあう言葉の鋭敏さで、新たな詩をたしかに切り拓いた。ちなみに詩を最も優れた言語芸術としてみなした原は、多くの珠玉の詩も残している。「いま朝が立ちかへつた。見捨てられた宇宙へ、叫びとなって突立つてゆく 針よ 真青な裸身の。」という詩「冬」には、死者の痛苦を一身に引き受けて書く、という詩人の清冽な意志がこめられる。
若尾儀武『流れもせんで、在るだけの川』(ふらんす堂)は、少年期における故郷奈良での、在日朝鮮人との交感と断絶の記憶を、詩の柔らかな息遣いの中から蘇らせる。今六十代の作者は、半世紀前の痛苦にやっと詩の命を吹き込むことができた。社会の靄の奥へ消えた人々と「ぼく」は、長い歳月の果てに言葉の光に照らし出され、詩という時空で出会い直した。世間(=散文)の外部で、「自身の思春期の得体の知れない感情」と「そのひとたちの打つ鼓動」は蘇り、かすかに共振し、新たな光と風を過去と未来に同時に呼び覚ましていく。
「結局あの日/ぼくはきみが印した『わたしんち』に辿りつけなかった/地図に間違いがあったとは思わない/ぼくはぼくで道筋を逸れていたとは思わない/ぼくはぼくで道筋を逸れていたとは思わない/なかったんだよ/地図にはあっても/橋のむこうには//きみの地図/今もぼくの手元にある/ぼくは市販の詳細地図と引き比べ/それを辿ってみるが/何度歩いても橋を越えたあたりからなんとはなしにずれていく/そしてきみが印した『わたしんち』は/いくら探しても地図の風景にはない/きみが自慢した朝鮮ツツジの色濃い紅も/その花影すら残していない//地球儀を回せば埃のように飛んで消えて/何がなくなったのかいい当てられないほどの/それでも残る/消えても在るきみの『わたしんち』/地図をかすかに風が吹いている」(「地図」)
季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田)の表題作は、シベリア抑留での痛苦の記憶を、詩に結晶化させ、自己を救済した石原吉郎に触発され生まれた。シベリアでは「凍った土地につながれたどの兵士も/足のうらは役にたたず/肘と膝がしらで這う姿勢で/身を保つしかなかった」と言う。敗戦後抑留者たちにもたらされた想像を絶する痛苦。季村もまた阪神大震災で被災した痛苦を詩で救い出してきた。二度の大震災を経て、さらに家族の病をも目の当たりにした本詩集では、揺れ動きながらも痛苦を乗り越える「位置」を見出しつつあるように思える。
「笹舟が消えたあとの/陽だまりの草/すべてはゆるされる、いな/ゆるされることはない、いな/あのひとからゆるしを遠ざけていると/どこからともなく集まった息の葉/さらさら/つぐなうことのできない/ことのはつゆの//さかまくものを畏れよ/地の上をおおう/うすいひろがり/一切 合財/破片とみなし/積みなおす破片の空/うつむき/なおもう一度/ふり仰ぐだろう」(「ひいふうみい」)