本日、京都下京区のひとまち交流館で行われた
琉球大学高良鉄美さんの講演「沖縄から見た安保、憲法、人権、社会」を聴きに行きました。
沖縄には二回ほど行ったことがありますが、憲法や人権という観点から沖縄を考えたことはこれまで私にはありませんでした。
しかし今回の高良さんのとても分かりやすい、そして熱い訴えを含んだ講演は、まさに、今このような時に沖縄が抱えている切実な不安の声を代弁しているものでした。
今、国家の非常事態だとして、改憲が正当化されようというこの時に、まったくタイムリーな講演でした。
自分自身の耳も眼も心臓も、とても集中しているのが分かりました。
災害救助隊を別に作らなくてはならないのに、迷彩服の自衛隊が必要なものとして、メディアを通し日々私たちの無意識に、刷り込まれています。
このような動きの先にあるのは、もちろん国家を優先し私たちの人権を制限し、弱い者が虐げられる社会であるのは明らか。
高良さんの話は
沖縄という土地が、いかにこの平和憲法の遵守を切望しているか
それに対し、本土の私たちが沖縄に結局は基地をおしつけたまま、素知らぬふりで憲法を変えようとしていることが、沖縄にとっていかに恐ろしいことであるか
を私たちにしっかり教えてくれました。
以下、高良さんの話に、自分の感想をおりまぜていきます。
沖縄ではあの沖縄戦からずっと
平和的生存権を脅かされ続けたままです。
平和的生存権とは憲法前文にある
「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」のことです。
1945年6月23日に沖縄戦は終了したとされますが
後はゲリラ戦が続き1万人が亡くなりました。
1952年4月28日に旧安保条約と対日平和条約が同時発効し
沖縄は、憲法を適用しないようにするために分離されます。
本土では平和憲法のために米軍は減らされますが、
沖縄では米軍基地が拡張されるのです。
沖縄では憲法が施行された時、「これが憲法なんだ!」と感激して
皆で書き写すほど喜んだというのに、
沖縄を分離しないでくれ、と嘆願署名をしたのに、
昭和46年には衆議院で「沖縄米軍について速やかな将来の縮小整理の措置を取るべき」
と決議されたのに、
今までずっと、本土では想像しがたいほどに
恐怖と欠乏を免れない日々が続いているのです。
今日も、事前通告なしに、嘉手納基地でパラシュート訓練があったと、冒頭から高良さん深刻そうにおっしゃっていました。パラシュートと言っても、凄いスピードで降りてくる大変危険なものです。
核の持ち込みだって、朝鮮半島有事の際の米軍の戦闘行為も
事前協議はありません。
1968年、嘉手納基地にB52が墜落するという事故では
米軍は大騒ぎになりました。
通常ならば核兵器が積んでいる機種であって、
万に一つの偶然で、爆発した爆撃機には積んでいなかったのです。
復帰前には600発の核兵器があったと言われますが
それを後にアメリカは1200発だったと修正したそうです。
沖縄戦の不発弾は年間30トン処理されても、まだまだ100年はかかるとのこと。
そして数々の犯罪と、地位協定を楯にするその見逃し。
毎日いつでも起こりうる事故。
なんという恐怖と痛みでしょうか。
この日本にアメリカの砦とされた沖縄が存在するかぎり、
瓦礫の中から出発した平和憲法を絶対変えてはいけないのです。
基本的人権の尊重、国民主権、平和主義という「憲法のDNA」を護り切らなくてはならないでしょう。
あるいは万一憲法を改正するのならば
それはアメリカのテロとの戦いに巻き込まれていくわけですから
沖縄の人々は生存権を徹底的に脅かされてしまいます。
その時は、基地の存在という苦痛を全国で分かち合わなくてならなくなるでしょう。
とにかく、沖縄のことを考えるならば、憲法を改正などできないはずなのに
「そのひとたち」にとって、沖縄とは、そして日本とは一体何なのでしょうか。