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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

辺見庸 目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)

長年互いに惹かれあいながら、この対談で初めて会ったという二人の作家の対談集。明治から戦後72年も経つ今にいたるまで、国家の暴力にさらされてきた沖縄をめぐり、それぞれの立ち位置を見定めながら作家として生きてきた「個」の重みをかけて、語りあっています。

 

今の状況にどこかあきらめかけている私の「身体」の、思わぬ急所に突き刺さる怒りの言葉がそこここにありました。突き詰めればそれは、「政治と文学」が軋みあう鋭さと煌めきと共にある怒りです。遥かな対談の場所で語りあわれているそのときも、辺野古や高江で国家と対峙している人々の身体の痛覚が、二人に伝わっていたのでしょう

 

読んでいて、ため息ばかりが出ました。

 

私も沖縄には何度か行き、辺野古のテントも訪れましたが、こういう精緻で鋭い怒りの言葉を繰り返して読み、咀嚼することが必要だったなとつくづく思います。

 

沖縄や戦争をめぐって、今の状況をさらに一歩深く考えるために必要な多くの歴史的事実を知ることが出来ました(とりわけ第三章の「沖縄と天皇制」)。

 

私もまた「ホンド」の非当事者であることをあらためて知らされます。「生身」で向き合うのではなく、観念や知識でことすまそうとしてきたー。私にもどこか「不敬」を恐れる気持があるのだとしたら。いえ、きっとそうなのでしょう。この本で目取真さんが語る沖縄の怒りにちゃんと向き合っていけば、それはおのずと剔抉されてくるのだと思いました。

 

この本は、私の中の「ホンド」を、二人の身体をかけた言葉で照らし出してくれるようです。余韻として泥濘の触感が足裏にいつまでも残ります。

 

日米安保に反対したら、目の前の米軍基地にも反対しないとおかしい。憲法9条は条文の解釈をめぐる問題で、具体的に形のある対象に反対するものではないですから、口で唱えるだけでもいいわけです。辺野古みたいに米軍基地の前で機動隊にぶん殴られて毎日排除されるのはとてもきついですよ。だけど、憲法9条で集会開いてですね、お互いに護憲を確認しているぶんには、痛くも何ともないわけです。」(目取真)

 

「高橋さんに言いましたけど、そんなことをしている暇があったら、あなた自腹を切って辺野古に来て、集会をやっているときにトイレ送迎の運転手をしたり、裏方の仕事を手伝った方がいいですよ。その方がずっと役に立ちますから。沖縄から「米軍基地を引き取れ」という声があって、それを主体的に受け止めて、「本土」からの応答として、自分の後ろめたさは解消されるかもしれないけど、実際上は効果がないわけです。」(同)

 

「要は、日本人の圧倒的多数が、沖縄の運動
を政府がつぶすことを願望しているわけですよ。でも、そうやって沖縄の運動をつぶしてですね、仮に辺野古に新基地ができたとして、本当に安定した運用ができますかって話です。まあ、10年先の話をしてもしょうがないですけど、沖縄の人々の気持ちはどんどん離れていくわけですよ。どうしてこんな日本のために、自分たちが犠牲になって基地を引き受けなければならないかっていう疑問を持つのは、当たり前の話ですよ。」(同)

 

このような言葉を「ホンド」の誰からも聞くことは決してないでしょう。日々生身でたたかいの最前線に立つ作家の、もしかしたら少なからぬ「ホンド」の支援者の反発も招きかねないこうした率直な実感表明に、「ホンド」に生きる私たちはどう応答すべきなのか。現場に行って痛覚を共にすることからしか応答しえないのではないでしょうか。

 

さらにそれは文学の問題でもあるのではないでしょうか。「政治と文学」、あるいは政治と文学の間に拡がる亀裂、深淵ー。

 

「「平和通りと名付けられた街を歩いて」もそうだけれども、ヤマトゥの人間がとてもじゃないけど逆立ちしても書けないことに切り込んでいく。あれは痛覚であるべきですよ。深部感覚ね。それが書けないならヤマトゥは文学をやめたほうがいい。」(辺見)

 

「いまのほうがめちゃくちゃに後退しまくっている。僕なんかも稿料をもらってものを書いているわけだけれども、日本のヤマトゥの文学の世界も、かなり右の側から天皇制を支えてきていると思う。いわゆる〝不敬文学〟にはホンドではいかなる手ひどい報復がまっているか。知らないふりをして、じつは感覚的に知っている。つまり、「不敬は割に合わない」ということだけをね。」(同)

 

「その作品世界は、政治と文学って問題のたてかたをするとして、それを対立項的に考えるときに、目取真さんにおいては、そういうヤマトゥのたとえば戦後文学なんていう観点とは、根本的に違うような気がするんですね。もっと、眼前の課題に対して身体的にちゃんと向き合うかどうかということを常に突きつけられている気がします。傍観者たち、忘却者たちを断じて許さない。はっきり言って、ぐうの音も出ないというのが僕の正直な印象なんですよ。」(同)

 

巻末の辺見さんのエッセイ「おわりに If I were you…… ー一閃の青い彗星のような暴力」を締めくくる最後の段落が、沖縄との対談を終えて「ホンド」に生まれたひとすじの痛覚の軌跡を、鮮やかに描き出しています。

 

今この時に多くの人に読んでもらいたいと思います。

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