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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2011-01-01から1年間の記事一覧

10月1日の講演会「『ひとりびとりの死者』へ、『ひとりびとりの生者』から」のお知らせ

10月1日に日光で私が行う講演会のお知らせです! 3.11の大きな喪失感と危機感は、いまださらに広がり続けています。詩は、未来の闇に抗うことは出来るでしょうか。「ひとりびとり」の死者と共に、死者のために、来るべき闇に異議を唱える未知のことば…

<ハンギョレ新聞>のインタビュー記事を訳していただきました!

先日、ソウルでハンギョレ新聞文化部のキム・ドヒョンさんから受けたインタビューを、黒い彗星・チェ・ダニエルさんに訳していただきました!→ 『<ハンギョレ新聞>朝鮮学校「無償化」除外反対に尽力されている河津聖恵さんへのインタビュー』 http://amba.to…

詩「石巻(一)」

石巻(一) 河津聖恵 ここに私たちがやって来たのはどのようないきものの意志によってか連れて来られたのは石化した魂か影の傷から影の血をしたたらせる影の死体か光に磔にされたいそう願ったのは本当は誰だったかかたちをなくしたことばをふたたび象られる…

愛沢革『石のいた場所』(土曜美術社出版販売)

少し涼しくなり 春から夏にかけて送って頂きながらそのままになっていた詩集群をようやくじっくり繙く気力が出てきました。 愛沢革『石のいた場所』(土曜美術社出版販売)。一昨年出た『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』(宋友恵訳、藤原書店)の訳者による第…

10月8日のシンポジウムのお知らせ 世界死刑廃止デー企画「響かせあおう 死刑廃止の声2011」

死刑問題のシンポジウムについてのお知らせです。日本が文明国であれば行われるはずもない死刑。私たちの日常が、死刑を当たり前のように受け入れているというのは異常です。「われわれは無限定な『われわれ』であるかぎり、つまり砂のような良民の群であり…

昨日、脱原発を求める集会とデモに初参加しました

昨日、脱原発を求める集会とデモ(9.10原発NO!京都府民大集会)に参加しました。 京都・円山音楽堂に2600名が参集しました。昨日10日と今日11日の二日間、政党が市民運動と連帯して行うという形のもの。政党の動員力もあったとはいえ、これだ…

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(6)

ソウル郊外の吉祥寺(キルサンサ)。最後の日に、ここで「ハッキョへの坂」を朗読。緑がとても美しいお寺。昔は料亭で、その女将が寄進したものだそう。静かな日溜まりの中で朗読した時、頭上からは鳥の声がきこえ、詩の中の風景がそのまま、現れてきたよう…

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(5)

地下鉄で見かけたおしゃれな広告。「ピアノを止めて。今日は雨の音が主人公だから」というような意味です。

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(4)

夜遅く入った、ソウル・インサドンの「小鳥カフェ」。古風かつ可愛いらしい内装の店内に、小鳥が数羽、放し飼いにされている、伝統茶のお店。凄く落ち着いた。小鳥のさえずりをききながら、「あじさい茶」の甘露を味わいました。孤独な日本の歌人の話をしな…

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(3)

韓国は、今は漢字をほとんど使いません。昼の光の下、ソウルの街並みに蝟集するハングルはかしましく、視覚にも痛いような感じ。でも夜のネオンサインのハングルはただ美しい。黙して語らぬ何かに、優しく見つめられるよう。右は「スターバックス珈琲」。

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(2)

チネで出会った、可愛いムグンファ(むくげ)。しぼんでもまた咲く生命力の強さが、韓国の歴史と韓国人の性格にも例えられるという国花です。

韓国で出会った花、光、緑、ことばたち・・・(1)

韓国・チネで出会った鳳仙花。この花びらで爪を染めて、その色が初雪の日まで残っていれば恋が実るといいます。ほんとうに、そんな色です。

4日韓国・鎮海(チネ)で行われたキム・ダルジン文学祭で朗読しました

昨日、韓国から戻ってきました。朗読会、交流会などを中心に、様々な出会いに満ちた日々を過ごしました。 4日には、鎮海(チネ)で、キム・ダルジン文学祭が行われそこで私も朗読をしました。 前日3日には、韓国の詩人たちによる討論会と、ユン・ドンジュ…

明日から韓国に行ってきます

明日から韓国に行ってきます。朗読するために。残念ながら日本語でですが。でも詩は、個別の言語を超えた「ことば」だと思っていますので、「ことば」の力を思い存分?解放してきます。「ハッキョへの坂」も読む予定です。それでは帰国後にまた・・。

8月29日付しんぶん赤旗「詩壇」 柴田三吉「希望が降り立つ場所」

8月29日付しんぶん赤旗「詩壇」 希望が降り立つ場所 柴田三吉(詩人) 震災から5カ月、宮城の被災地を歩いた。がれきの撤去はほぼ終わり、それらがあちこちで巨大な山となっていた。倒壊を免れた建物も内部は完全に破壊されており、ビルの4階まで達した…

27日、石巻での「読み語り」の活動と京都からの絵本の支援についての話を聞く

27日の土曜に、京都市の子どもの本屋さん「きんだあらんど」で同店と連携し石巻市で読み語りの活動を続ける「NPO にじいろくれよん」の代表柴田滋紀さんのお話をきくことができました。同店代表の蓮岡修さんのお話とともに、大変心に訴えるものがありま…

朝鮮学校に高校無償化適用へ 菅首相、文科相に指示

菅直人首相は29日、昨年11月の北朝鮮による韓国砲撃を受け凍結していた朝鮮学校に対する高校無償化適用の審査手続きを再開するよう高木義明文部科学相に指示した。これを受け文科省は、適用に向けた手続きに入った。 同省は今後、有識者会議の意見も聞い…

一昨日25日東京での朝鮮学校無償化実現の要請行動に参加しました

一昨日25日に、朝鮮学校の無償化実現の要請行動に参加するために、東京へ行ってきました。文科省、内閣府への要請行動と、院内集会に参加しました。詳しくは以下にリンクした記事をお読み下さい(写真に私も少し映っています)。記事が伝える、「〈高校無償…

『見えない恐怖』の書評

松井英介さんの『見えない恐怖』についての北海道新聞の書評です。北海道がんセンターの西尾先生が書かれています。「科学的冷静に知るための格好の好著」。(画面が90度傾いております。)→2011.08.14.jpgをダウンロード

お盆に読んだ本�A松井英介『見えない恐怖──放射線内部被曝』(旬報社)

お盆に読んだ二冊目の本は 松井英介『見えない恐怖──放射線内部被曝』(旬報社)です。 松井さんは岐阜大学医学部附属病院勤務、放射線医学講座助教授を経て、現在は環境医学研究所所長。 今最も読まれるべき素晴らしい本だと思いました。 放射線とは何か、…

お盆に読んだ本�@水野崇・渡久山章『地球の未来を見つめて──アメリカと沖縄からの発信』(新星出版)

お盆に二冊の本を読みました。 二冊ともタイムリーな書でしたので、酷暑の中でも集中して読めました。 まず、水野崇・渡久山章『地球の未来を見つめて──アメリカと沖縄からの発信』(新星出版)。 水野氏は、21年前、1991年に日本からアメリカ、ニュー…

8月16日付京都新聞「詩歌の本棚」

8月16日付京都新聞「詩歌の本棚」 河津聖恵 東日本大震災から五ヶ月。今詩の方向性は、大きく二手に分かれつつあるように思う。未曾有の悲劇を目の当たりにして、これまでとは全く違う詩の次元を見出そうともがく詩人たちがいる一方で、早々と詩の無力=…

許玉汝「ふるさとへの道」

昨年夏、『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』の共同編集者である許玉汝さんが、8月15日を前に、以下のようなエッセイを書かれました。一人の在日コリアンがたましいの旅の中でようやく探りあてた「ふるさと」、沢の水の冷たさ、母の笑顔──。 随筆 「…

8月11日付毎日新聞夕刊「真実の言葉に耳を澄ませ」

Bunkaなう 震災と表現�@圧倒的な破壊の後で真実の言葉に耳を澄ませ 河津聖恵 七月初め、私は宮城県石巻市で行われた「復興ウォーキング」に参加した。炎天下、画面でしか見たことのなかった風景を360度、五感で体感しながら瓦礫の原を歩いた。空気に…

詩「メドゥサ」(思想運動875号掲載)

メドゥサ 河津聖恵 いつからかそこにメドゥサは砕かれた額をもたげていた私たち自身の��破壊そのもの�≠フ吐息がことばにならない泡を紡ぎながら海の底から重く重くあふれだしていた生まれたばかりの��彼女�≠ヘ怒りも喜びもなくただ盲目の無の使いとして沈黙を…

「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か(四)」

昨日の記事に引用した詩「(ハコヤナギよ)注:実際は無タイトルです」には亡き母へのツェランの痛切な思いに満ちています。しかしそれは、死者への単純な追悼の思いではありません。 収容所で射殺され不条理な死を遂げた母は、死者のイメージとしてさえこの…

「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か(三)」

アドルノは1949年に語った『アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である』というテーゼを1966年の『否定的弁証法』で次のように訂正しています。 「絶え間なく続く苦しみは、拷問にかけられた人がうめき声をあげるのと同様に、表現への権利を持つ…

「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か」(二)

しばらく原理的に考えていきたいと思います。 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」このアドルノのテーゼは挑発的です。それは「詩」と「野蛮」という最も対極的な二つを、有無を言わさず串刺し?にしているからです。 けれど、この二語は並べて…

「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か」(一)

「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮だ」。 ドイツの哲学者アドルノが1949年に書いたこのテーゼを最近、ある詩人がエッセイで引用していました。 詩人はこう言っています。 大震災の未曾有の悲劇の後、そして今もなお続く原発事故の被害が深刻化す…

東北朝鮮学校でのチャリティーコンサートについての記事二つ

以前、このブログでもご報告した東北朝鮮初中級学校での朗読会について下記の二つの新聞記事が掲載されましたので、ぜひご一読下さい。 7月27日付毎日新聞朝刊:「日本大震災 大規模半壊、東北の朝鮮学校は今」http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/…