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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

最大多数の最大幸福

昨日アップした写真の
七夕の飾りに書かれていた願いごと。
「みんながしあわせでありますように」。
大人の字ですね。
恐らく優しいお母さんが書いたのでしょう。

この「みんながしあわせでありますように」は
宮沢賢治の言葉
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
を思い出させます。
『農民芸術概論』に出てくる言葉です。

昨日の朝日新聞夕刊の
池澤夏樹氏のエッセイ「終わりと始まり」の末尾に
この言葉が引用されていました。

エッセイの話題は何かといえば
菅直人首相の就任記者会見でのあの
「政治の役割は……『最小不幸社会』を作ることだ」
という言葉をめぐってです。
私はもうすっかり忘れていました。
政治家がまた何を言っているんだろう、と
まったく心に留めていませんでした。

しかし池澤氏はそれを
ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」
と対比します。

それは小泉政権がそのあからさまな代表だったといえる
「リバリタリアン」(自由至上主義者)
の根拠である原理。

一見聞こえはいいし、
その意味はいろいろ考えられるようですが
池澤氏はこれについて
「『最大多数』と『最大幸福』の間のトレードオフ」と考えます。
そして次のように説明します。
「富の量が一定ならば『最大多数』が小さくなるほど『最大幸福』は大きくなる」
私はハッとしました。
富の量(分子)には限界が来る。
すると、最大幸福が大きくなるには
格差社会の勝者としての「最大多数」(分母)が小さければ
いいことになります。そうか。

つまり、自分さえ最大多数に入ればいい。
そして最大多数が少なければいいのだから
あとはそこに入ろうとする者を
極力蹴落とさなくてはならない。

うーん、そんなシニカルな論理でもあったのか。
それを知って、この言葉を座右の銘にしてる人たちがいるのだろうか。
いいえ、たしかにいるはずです。
もしかしたら、私の中にも
そんなリバタリアンが巣くっているのかも知れない。

「『最小不幸』の原理は小泉政治を根底から否定するものである。それが明言されたことの意義は大きいと思う。/人には生まれつきやその後の人生で運不運がある。運がいい人はその波に乗って勝手にやっていけばいい。国はそれを邪魔はしない。しかし。運の悪い人を奈落に落とすことなく、手を貸して安定した位置に戻す──これは国の基本的な機能の一つではないか。」

That's right!